評価は真っ二つ。現代の英雄と見る熱い視線の一方、「売名行為の塊」との冷めた見方もある。いったい、あなたは何者なのか、河合さん。

 

ひと烈風録|弁護士 河合弘之[前編]

脱原発とバブルまみれ どっちも過激に一点突破

弁護士の仕事はドラマチックだ。東電幹部の強制起訴について検察審査会の議決を待つとき、「心臓は破裂せんばかり」だった。事務所の自室は書類で埋まる(撮影:今 祥雄)

2015年秋、東京・渋谷の映画館ユーロスペース。『日本と原発 4年後』のエンドロールが消えると、オレンジ色の革ジャンの河合弘之(かわい・ひろゆき)がひょいと舞台に立った。

「監督の河合でございます」。客席がワッと沸く。

「感動の名作を、と思って作ったのではありません。ツールとして作りました。原発推進派がバラまくいろんなデマ。それに打ち勝つツールを全部そろえた。ぎゅうぎゅう詰めの幕の内三段重ね。1回見ただけでは覚えられない。ぜひ、3回は見に来てください」 河合は脱原発運動の先頭に立っている。3.11の後、170人の弁護士を集め「脱原発弁護団全国連絡会」を結成。関西電力・高浜原発の再稼働差し止めの仮処分を申請し、賠償金総額5.5兆円の東京電力株主代表訴訟を起こしたのも河合だ。

株主代表訴訟の原告団事務局長、木村結には「やんちゃ坊主がそのまま大人になった」ように見える。

「開けっ広げ。ガードしない。偉ぶらない。そこが女性には魅力的」 手を広げすぎてダブルブッキング、トリプルブッキングは当たり前。時間ぎりぎりに会合に駆け付けて「今日は何話すんだっけ?」。

もう一人の河合がいる。バブル真っ盛りの1988年暮れ。乗っ取り屋、小谷光浩が大株主として国際航業の臨時株主総会を招集した。株主総会の議長席に着いたのが、小谷の顧問弁護士だった河合である。

乗っ取りを阻止しようと会社側は必死に抵抗した。河合が振り返る。「異議あり、異議あり、の大合唱。やわな議長だったら、ぐちゃぐちゃにされてしまう」。河合議長はビシバシ議事を進行した。「はい、あなた、発言禁止。退場。ガードマン、彼を退場させなさい」。

小谷だけではない。イトマン社長の河村良彦や秀和社長の小林茂。狂乱のあの時代、バブル紳士たちにぴったり寄り添う河合がいた。

バブルの守護神と脱原発の愛すべきリーダーと。いったい二人の河合はどこでどう結び付くのか。

「左」から急旋回 バブルの寵児イトマンと二人三脚

ハーレーに乗り、能を舞う。「俺って本当に俗物だなぁ、と思ったり、結構頑張ってるじゃん、と思ったり。両方ある」(撮影:今 祥雄)

河合の自己分析はこうだ。

「たぶん、たいへんな俗物性と、自分で言うのも何だけど、正義感、純粋性が同居しているんだと思う」 貧乏は真っ平ごめん。絶対に儲ける弁護士になる、と思っていた。

ところが司法試験に合格し司法修習生になった60年代後半は、大学闘争の嵐が吹き荒れ、新左翼運動が高揚期を迎えていた。正義感=純粋性のほうが時代に敏感に反応する。「反戦法律家連合」の代表に納まり、逮捕された学生たちとの接見のために連日、拘置所に通った。

ある日、やーめた、と思った。革マル、中核、社青同。新左翼のセクトが唱える「理論」がまるでわからない。わかったふりをするのがつらいし、こんな理論で社会が変わるとも思えない。だいいち、連中と付き合っていたら、まったく儲からない。

72年、同期の竹内康二と、河合・竹内法律事務所を開いた。跳躍台になったのは、先輩弁護士から中堅商社イトマンを紹介されたことだ。

当時のイトマン社長は、住友銀行から送り込まれた辣腕の河村良彦。河合はほれ込んだ。「20%成長しなければ企業じゃない、と河村さん。すごいオーラがあった」。

事件が起こった。首都圏に100店舗を構える平和相互銀行のお家騒動である。ヤメ検(元検事)の伊坂重昭を筆頭とする「四人組」が実権を握り、創業家の小宮山一族が震え上がった。一族が泣きついた先が、川崎定徳(ていとく)社長の佐藤茂。裏社会とのつながりがうわさされるフィクサーだ。

佐藤はイトマンの河村に話をつなぎ、河村も乗った。平和相銀の一族と株を手中にできれば、古巣の住友銀行が首都圏で勢力を拡大する布石になる、とそろばんをはじいたのだ。

焦点は一族の資産管理会社だ。四人組は、この会社が債務弁済不能として会社整理を申し立てた。裁判所が認めてしまえば、資産管理会社が持つ平和相銀の株が相手に渡る。

事は一刻を争う。対抗策をめぐりイトマンで甲論乙駁する中、河合がありえない奇手を河村に提案した。「弁済できないから整理すると言っている。ならば、借りたカネを全額たたき返せばいい。朝8時までに127億円用意できますか」。

ところが翌朝、127億円の預手(よて)(銀行振出小切手)を携えていくと、相手側が受け取らない。そこで河合は記者会見を開いてブチ上げた。

「貸金回収が銀行の仕事なのに、返しに行ったら真っ青になって逃げていく。向こうの経営者にはよこしまな意図があるということだろう」 一族が私欲でゴネている、と書いてきたマスコミの論調が一変した。

河合はスポットライトの真ん中に飛び出した。評判が評判を呼び、バブル案件が次々に持ち込まれる。面白い。がっぽり儲かる。はまった。

敵も仕事を頼みに来た。ゴルフ場の争奪をめぐる係争で勝利したときのこと。相手側の公認会計士がやってきた。「先生、いい腕してるね。面白い案件があるんだけど」。公認会計士は仕手筋・小谷の片腕であり、案件とは国際航業の乗っ取りだった。

国際航業の転換社債を丸ごと買い占め、40%の株式を手中に収めた小谷は、会長・社長父子の不和に付け込み、株積み上げを狙っていた。

小谷の悪名はとどろいていた。ヤクザのカネが入っているのでは、とささやかれていた。でも頓着しない。

「知ったこっちゃない。タネ銭をどう工面したかなんて、聞かないし知りたくもない。ただし、目の前で不正をやることは許さない。犯罪の幇助(ほうじょ)、教唆(きょうさ)は絶対しない。僕は上澄みだけで勝負する」 イトマンの地上げ別働隊だった慶屋(よしや)。イトマンの融資額が1000億円に膨らむと、一転、これを回収すべく河合が慶屋を締め上げた。追い込まれた社長が言った。「河合さん、知ってます? イトマンは100億貸したら、企画料として30億、金利10億を先取りする。残るのは60億だけ。返せるわけないだろう」。

そうか。年率20%成長の裏側は、これなのか。もう一つ、慶屋は河合に強烈なしっぺ返しを食らわせた。「依頼者と相手側の双方から報酬を受け取った」として、河合の懲戒処分を弁護士会に請求したのだ。

弁護士法は弁護士が係争中の双方から利益を得ることを禁じている。河合は「不動産屋が買い手と売り手から手数料を取るのと同じ」と抗弁したものの、弁護士会の審査が始まった。舞台は静かに暗転する。

実は河合自身、バブルにまみれていた。銀行から二十数億円借り、土地を買った。もし、弁護士会の審査で除名処分になったら、大借金を抱えたまま廃業となる。奈落の底をのぞくような恐怖感にとらわれた。

河合は「意を決し、恥を忍び」、川崎定徳の佐藤、その腹心の桑原芳樹を料亭に招いて頭を下げた。

「このままでは立ち行かなくなります。お願いします」

「河合さん、俺たちは戦友だからな」と佐藤が言った。「桑原、すぐに(土地を)買って差し上げろ」。

大事なものとは何かを自問。海渡雄一とコンビ

そしてバブルがはじけた。河合の周囲は死屍累々である。イトマンの河村は特別背任、小谷は株価操作で逮捕された。「上澄みだけ」の河合は末期の河村から遠ざけられ、国際航業のカネを横領した小谷とは対決した。だから、河合はおとがめなし。

フィクサーに土地を買い取ってもらったおかげで地価暴落にも無傷だった。だが、弁護士会は河合に業務停止3カ月の処分を下した。軽い処分ではない。大企業は処分を受けた弁護士に仕事を発注しない。弁護士会の役職に就く道も閉ざされた。

昨日までの風景が物の見事に一変した。河合の心に言いようのないむなしさが広がったはずである。

バブルの仕事の数々は面白かった。後悔もしていない。が、それだけの一生で本当にいいのか。「照れずにいえば、人間としていちばん大事なことに触りたい、と。でないと、人生の意味がないんじゃないか」。

以前から、中国残留孤児の日本国籍取得を支援していた。旧満州生まれの自分もまかり間違えば残留孤児になっていたという思いからだ。が、残留孤児問題は日本一国の戦争責任の問題だ。人間全体にとって、最も普遍的なテーマとは何なのか。

生きとし生けるものの舞台=環境ほどかけがえのないものはない。そして、その環境を根底から破壊するのが原発だ。そう思い至ったとき、高木仁三郎に出会った。原子力資料情報室を主宰し、先駆的に反原発運動を牽引した市民科学者である。

「運動に加えてほしい」と申し出ると、高木がぼそっと言った。「また一人、苦しい闘いに引きずり込んじゃったなぁ」。高木は河合の経済センスを信頼し、死の間際、遺言書を託すまでになる。書かれていたのは、市民科学者を育てる基金を創ってほしい、という願いである。

00年、日比谷公会堂で開かれた「高木さんをしのぶ会」。河合のアジテーションが冴え渡った。

「高木さんの遺産だけじゃ足りない。皆さんのポケットや財布の中身、残らず置いていってください」 河合が最初に弁護団長として戦ったのは、中部電力・浜岡原発差し止め訴訟だ。浜岡で事故が起これば、日本は壊滅すると直感した。だが、地元の盛り上がりがいま一つ。ここは彼を引き込むしかない。彼とは、高木門下の弁護士、海渡雄一である。

社民党の副党首、福島瑞穂のパートナーで反原発運動歴は大学3年生以来。河合とは対照的に「清く、正しく、美しく」の一本やりだ。

海渡は「ちょっと浜岡に講演に来てくださいよ」と持ちかけられた。微に入り細にわたり浜岡の危険性を説き尽くすと、続いて河合が登壇。「この海渡先生が訴訟を担当してくださいます。皆さん、盛大な拍手を」。えっ、何のこと? はめられた。が、もう引っ込みがつかない。海渡の言う「珍コンビ」誕生の瞬間だ。

ところが最強の珍コンビが、浜岡で惨敗した。河合は一気に弱気になる。「3.11の前は経済界の9割が原発支持派。世間の大半を敵に回すんだから、精神的にものすごくきつい。いくら言ってもダメ。もう、いいか」。何がしかのカネを置いて消えようか。

海渡も感づいていた。浜岡の会議に出てこない。こいつ、逃げる気だな。そのとき、3.11が起こった。

=敬称略=

(後編に続く)