今週号の深層リポート「ホンダの限界」はお楽しみいただいていますか? 今回はこれにちなんで『週刊東洋経済』の過去のアーカイブからホンダの創業者、故・本田宗一郎氏のインタビューや対談を4本セレクトしてお送りします。

1954年から82年までの記事から採録

あざやかな引退ぶりが人柄を語る

1本目は、1954年(昭和29年)11月13日号「わが社のゆき方」シリーズ第2回での登場。「精度の向上こそ発展のカギ」のタイトルで1問1答インタビューに応じています。戦後創業の本田技研工業がオートバイメーカーとして急速に成長した頃のもの。「(オートバイは)道路の上に商品がある。十何万かの人がどこにでも乗って行って人に見せているわけです。(中略)つまりうちのセールスマンは、給料を出さないお客さんなんです」と独特な視点が印象的です。

2本目は、1955年4月9日号「戦後派社長 大いに語る」。同じ戦後生まれの成長企業として注目されていた三洋電機の井植歳男社長(当時)との対談です。玉石混淆のアプレ(戦後派)とひとくくりにされ苦労した体験を共有し「他の業者との見解の相違のために圧迫を受けたことは事実ですね」と明かしています。東南アジアなどの新興国から欧米へ輸出先を拡大するに際し、競争が大変ではないかと問われ、「工業が発達しているから、何から何まで全部発達していると思ったら大間違いです。アメリカは大工業は素晴らしいが、小さなものに盲点があるのです」と鋭い分析を見せます。

3本目は、1973年9月1日号のインタビュー「そこが聞きたい」。「わが退陣の弁 もう若い者の時代」のタイトルで、創立25周年を機に藤沢武夫副社長(当時)とともに第一線から退く意向を明らかにした直後のもの。「死ぬまで社長のイスにしがみついているというようなことは初めから考えていないから、いつかはやめなければならない。どうせやめるなら、なるべく早く交替すべきだというだけですよ」と、退陣の弁をさっそうと語っています。「経営者というのは“かけがえのない人”であっちゃいけないんだ」「(経営者が)パーツとしてまだ十分役にたつときにやめてやることが、経営の基盤をより強固にするし、従業員も納得すると思う」という言葉に、耳が痛い長老経営者も多いのでは?

最後は1982年7月17日号「本田宗一郎縦横談」。「体験的戦史の読み方」というテーマで、徳川家康や東郷平八郎をバッサリ。このインタビューの直前に井深大・元ソニー会長と行政改革をめぐって2時間対談し、その後に単独で1時間半しゃべったそうです。よほどの歴史好きなのでしょうが、当時75歳という年齢(しかも現在の75歳ではありませんよ)を考えると、そのパワフルなスピリッツに圧倒されます。「人間は死ぬか生きるかのときに、機械なんてみませんよ。全部カンです」「勝敗を決める決戦で、一番大事なのはスピードなんですよ」など、ビジネスにも応用できそうな名言が盛りだくさんです。

(※なお、仮名遣いなどの表記については、当時のものを最大限優先しております)

(週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘) (週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘)