1998年12月。三菱自動車工業の購買担当は三日間、ある取引先部品メーカーに通い詰めた。「通常では考えられないような値引き」(部品メーカー幹部)を頼むためだ。「これだけ値引いてくれなければ会社に帰れません」。購買担当はねばった。

部品メーカー幹部は驚いた。部品メーカーが完成車メーカーに出向き、そこで値引き額を言い渡されるのが通例だからだ。「カーメーカーの人がうちに来て、値引きをお願いするなんて、後にも先にもない経験だった」(幹部)。

98年3月期連結決算で1000億円を超す最終赤字に陥った三菱自動車は、それだけ必死だった。河添克彦社長は2000年度までの三年間で3500億円のコスト削減を目標にした縮小均衡計画「RM2001」を打ち出し、リストラを推し進めた。なりふり構わないリストラで99年3月期は何とか黒字を達成した。

だが、それでも危機の本質は依然として変わらない。危機の実相は大きく分けて三つある。