自己決定の尊重という大原則が医療現場を、そして患者本人をも縛っている。人間の死と日々向き合う医師がただす大いなる矛盾と、逡巡の先に到達した着地点。

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──20年前はタブーだったがんの告知。今はもう当たり前ですね。

1990年、横浜の病院勤務時に、「さすがに言わなきゃいけねえよな」と部長が肺がん患者に告知しました。当時その病院で告知したのは僕らだけ。全員に言うか言わないかどっちかなら、全員に言おうと。同じ抗がん剤打ってれば、告知してない患者にもいずれはバレる。

一点の風穴が開くと、告知は一気に広まった。それが2000年くらい。今では面と向かって「あと3カ月です」と言う医者もいる。極めて厳しい膵臓(すいぞう)がんなど、昔はどう話そうか悩んだものだけど、今はあまり悩まなくなった。医者のパターナリズム(父親的温情主義)が否定され、“患者のために”医者が決定しちゃいけなくて、全部患者の自己決定に任せよということになってる。

医者自身が責任を負え 患者に押し付けるな

──自分で決めろと言われても。

困るでしょ。患者が「先生にお任せします」と言うと、今日びの医者は「お任せされても困ります」と突き返す。手術しろって言うならするけど成功率は20%、あなたの人生なんだから自分で決めて、というのは、さすがにどうよと思うんです。

フランツ・インゲルフィンガーという食道がんの権威がいまして、30年前自身が食道がんになったとき、患者に自己決定を押し付けるのはやっぱり違うと痛感した。彼は第一人者だから誰より情報を持っている、でも決められない。結局、有能な同僚にすべてを任せました。彼は遺稿の中で「医者は自分で責任を負わねばならない。患者に負わせてはいけない。自分の経験を駆使して具体策を提示しようとしない医者はドクターの称号に値しない」と書きました。