古い映画に『虹をつかむ男』というのがあった。ダニー・ケイ主演の作品だ。空想がさかんで、他人と話しているとたちまちその話の主人公になってしまう。そして自分なりに物語を発展させて悦に入る。「おい、聞いているのか」と相手に注意されてハッとわれに返る。

しかしこの性癖は日常的な物で、違う相手から違う話を聞けば、すぐまた新しい空想の世界に入り込む。その入り込むきっかけ(つまり現実から空想へのギアチェンジ)になるのが、「パケット、パケット」という呪文のような言葉である。1947年の制作だが、日本で上映されたのはそれよりずいぶん後だったと思う。この映画には取りつかれた。というのは、私にもこの主人公的な性癖が多分にあるからだ。

それも、見た映画の主人公になりきることが多い。たとえば深夜、脇に置いていた水がなくなって、新しいボトルを冷蔵庫に取りに行く。古いほうのボトルには少量の水が残っている。新しいボトルはいっぱい水が詰まっているわけではなく、上のほうが空いている。これは、これから書くある作業をやりたくて、少し減らしておいたのだ。

台所の蛍光灯をつけて、さてと身構える。二つのキャップを取る。そして古いボトルの口を新しいボトルの口につける。これが一つの勝負どころとなる。両者の口が合うと、古いボトルを逆さまに持ち上げて、残った水を一滴も余さずに新しいボトルに注ぎかえる。途中で合っている口がずれたり、注ぐ水の量がドバっと増えたりするようなことがあればこの作業はNGである。

このときの私は、映画『リオ・ブラボー』でディーン・マーティンが演ずる主人公デュードになっている。デュードはジョン・ウェイン扮する保安官の助手を務めている。しかし好きな女性に去られて以来、アルコール依存症を患っている。努力しても治らない。傷が深いのだ。そんな彼を保安官は見捨てない。

保安官は最大の危機的状況にあった。彼を憎む地域の実力者が、大勢の部下を連れて襲撃しようとしている。楽団を雇って「アラモの砦(皆殺しの歌)」を演奏させたりしている。さすがのアル中デュードもしっかりせざるをえない。