中国には『菊と刀』に匹敵する日本論がない

この100年を振り返ると、中国の日本研究は2回のピークを経験した。1931~45年と80年代である。両者に共通した特徴は、それぞれ明確な戦略的背景があったということである。

前者は日本軍国主義が成立した要因およびその戦略目標を理解することが目的で、孫子が言う「敵を知り、己を知る」ための日本研究であった。後者は、主に中日間の歴史的和解と国交正常化を通じて、中国が国際社会に溶け込み、近代化を加速させるためのものであった。

日本理解を深めようとする「知日」ブームの背景には、このように意図が明白、悪い言い方をすれば打算的ともいえる戦略的な要求があった。その成果としていくつかの著名な日本論が書かれたが、その影響力はさほど大きくない。端的にいえば、今でも中国の普通の知識人にとっては、約70年前に米国のルース・ベネディクトが書いた『菊と刀』が日本理解の手引である。今日の中日間で人的交流が非常に活発なことを思えば、これは奇妙な事態だ。

戦前には戴季陶の『日本論』や、魯迅の弟である周作人の『日本文化を語る』など優れた著作があった。だが、49年の新中国成立以降にはそうした優れた日本研究者を一人も育てられていないことは、はなはだ残念だ。

その原因は複数あると思う。一つには、戦後の中日両国はまったく異なる発展をしてきており、制度の隔たりは過去のあらゆる時期のそれを超えている。とりわけ「改革開放」が始まる前の30年間、中国は国際社会の主流から排斥され、国内の知識人の日本および中日関係に関する論述は、ほとんど想像の中の異邦というお粗末なレベルでしかなかった。