子供の頃、習字の塾に通わされた。“読み書きそろばん”を身に付けろ、ということではない。小さな町工場を経営しながら、「半間」という俳号で俳句雑誌への投稿を続けていた父は、「字はその人間を表すからだ」とよく言っていた。

確かに習字は人格陶冶にかなり役立つ。硯(すずり)に水を入れて、「の」の字を書くようにすり続けていると、頭の中にうごめく雑念がしだいに浄化される。川の汚水が底の石の群れで漉され、透明度を増すのと同じだ。新聞社からチャリティ用の色紙を頼まれると、私は必ず硯で墨をする。子供時代を思い起こすからだ。

塾に通っていた効果により、小学校の書き初めや習字大会で金紙(最優秀賞)の短冊を得た。今でも小学校の同窓会で集まると「オメエ(私のこと)は書き方だけはうまかったよな」と言う同級生がいる。ほかの学科だってうまかった(よくできた)のだが、今さらムキになって強調するようなことではない。

顔真卿(がんしんけい)の字が好きだった。唐代中国の書の達人であるこの人の字をよくまねた。北京には往時、瑠璃庁という集落があって、土の家の中で端渓の硯をはじめ、高価な墨や拓本を売っていた。その頃は趣のあるボロ家ばかりだった。現職の頃、東京都と北京市の友好都市提携の実現責任者だったので、その後、北京を個人的に観光で訪ねても、必ず屈指の高級ホテルである北京飯店の旧館に泊めてくれた。故宮内の石標から拓本を取ることも許してくれた。「これが井戸を掘った人を大切にするというヤツかな」と思ったものだ。

公式訪問のときは、お世話になった人へのお礼の仕方が難しかった。もちろんおカネなんかは使えない。そこで、市長(北京市革命委員会主任)にはルーマニアで買ったジャンパー、秘書室長にはラクダの下着の上下、通訳にはモンブランやパーカーの万年筆数本などを贈呈した。