ベルリンで行われた日本に関する会議に出席した。初めてのベルリンで、とりわけ印象的だった事実がある。こと歴史に関していえば、ドイツは日本とは違う。確かに日本の戦争犯罪はホロコーストとはまったく別物だが、だからといってその凄惨さが劣るわけではないし、薄らぐものでもない。

ベルリンでは、街中にホロコーストの記憶を見いだせる。歩道に「つまずきの石」を見掛けるが、次のような文字が刻まれている。「ここに居住していた誰々は、Xキャンプで194X年に命を絶たれた」。ある芸術家によって92年に始められ、今ではドイツ中に約2800個ある。

バイエリッシェ・プラッツのあたり、アインシュタイン氏とハンナ・アーレント氏が住んでいた地域には変わった記念物がある。街灯柱にニュルンベルク法が記されているのだ。この国のかつての法律の文章を見たときは大きな衝撃だった。たとえば「ユダヤ人が食料を購入できるのは午後4時から5時の間のみとする」「ユダヤ人は電気製品をすべて没収されなければならない」などだ。

有名なブランデンブルク門の近くにあるのは、ヒトラーによる39年のポーランド侵攻に関する巨大な屋外展示だ。ヒトラーの東部総合計画ではスラブ人3000万人を殲滅し、ドイツ人の居住地を作るつもりだった、と記されていた。

ドイツ人の会議参加者にこの話をしたら、彼はこう語った。戦後数十年間は、人々は思い出したくないと考えていた。しかし68年の学生運動後に新しい世代が出てくると、この記憶は多くのドイツ人のアイデンティティとなった。

別のドイツ人は、この態度の変化はブラント元首相(西独)に強く推し進められたものだと言う。ワルシャワのゲットーでナチに対し起きた蜂起の跡地を70年にブラント氏が訪れ、ひざまずいて許しを請うたときだった。後に彼はこう書いている。「あの振る舞いはいったい何だったのかとよく聞かれる。最初からそうするつもりだったのか? いや、違う。ドイツが生み出した歴史的な地獄の縁に立ったとき、何百万人もの虐殺を犯した重責がのしかかってきたのだ。誰だって言葉を失ったときにはそうする」。