今だからこそ「業の肯定」を

落語界で異端といわれる立川流の中でも、独自の世界をひた走る、談笑。二つ目時代には血も凍る不条理な噺(はなし)を演じ、客席から笑顔を奪い去ったこともある。「シャブ浜」「イラサリマケー」など痛快な改作・新作落語で有名だが、真打ち昇進後は古典回帰の日々だ。立川流の最終兵器として目が離せない談笑師匠に、21世紀の落語論や世相についてマジメに語ってもらった。

たてかわ・だんしょう●1965年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、予備校講師などを経て、92年立川談志に入門、2005年に真打ち昇進。(撮影:尾形文繁)

──現代社会の中で落語の存在をどう位置づけて演じていますか。

落語を一言で言うと、『週刊少年ジャンプ』のような存在です。ずっと以前からあるが、いつもその時代に寄り添っている。表現する技術は確かに必要だけれども、決して高尚なものではない。それでいて生きる力や勇気をもらったりする。

ですから落語は、今の人たちと共に楽しめる「時代性」と、古くから伝わっているという「連続性」の二つが両輪となっている。その点で最近、若い落語家を見ていると、聞く人に合わせてどんどん落語に手を入れている。これは健全なこと。

一時期、金科玉条のように落語は一言一句変えちゃいけないといった風潮がありましたが、明治や江戸時代の資料を見ると、落語は随分柔軟に変化している。名人の音源が残ることで束縛されてしまった時代を、(立川)談志らが突き崩し、今の柔軟な形に戻したのだと思います。

一方で、「本寸法(ほんすんぽう)(本格派)」というか、江戸時代っぽい風情を感じさせるのが上手な落語家もいます。そういう人たちの存在も大事。時代性と連続性は二者択一ではなく、演目によってどちらに重きを置いて演じるかが大切です。