9月29日の自民党総裁選挙で第27代総裁に選出された岸田文雄氏(写真:JMPA)
2021年10月4日、第100代の首相に選出される岸田文雄衆院議員。岸田氏とはどんな考えを持った政治家なのか。
週刊東洋経済では2018年2月3日号の人物ルポ「ひと烈風録」で、当時、自民党政調会長だった岸田氏を6ページにわたって取り上げた。その記事を再構成してお届けする。

 

岸田文雄は祖父、父とも元衆議院議員で、安倍晋三元首相と同じ政治家3代目である。1957(昭和32)年7月に東京・渋谷区で通産官僚の父・岸田文武の長男に生まれた。

父の勤務の関係で小学校1~3年はニューヨークで暮らし、地元の公立学校に通った。帰国後、東京の永田町小、麹町中、開成高を経て早稲田大学法学部に進み、卒業後、日本長期信用銀行(現在の新生銀行の前身)に就職した。

30歳で退職する。衆議院議員だった文武の地元秘書となり、広島市に移住した。早大時代から40年以上の友人の岩屋毅(早大政経学部卒。衆議院議員)が述べる。

「昔から自己主張する人ではなく、人の話をよく聞く。ガツガツしたところはない紳士。新しい宏池会のプリンスという育てられ方をされ、謙虚で誠実な人柄でそつなくこなしてきた感じです」

秘書に転じたときから、政治家に、と志を立てた。岸田が語る。

「政治や官僚に触れる機会が多い環境で育った。小さい頃、アメリカにいて、人種差別など理不尽な世の中に対して、正義感とか義憤を人一倍強く抱いた。それが政治を志す気持ちにつながった」

父の地盤を継いで36歳で初出馬

「酒豪だが、行儀のよいイケメン」が定評だ。秘書時代、広島県三次市出身で自動車メーカーのマツダの重役秘書だった女性と見合い結婚した。

後に岸田の選対本部長を引き受ける林正夫(広島県議・元議長・自民党広島県連幹事長)は、「秘書のとき、よくマツダに行くね、と冷やかしたことがある。美人で、一目ぼれですよ。英語ができて政治家夫人にぴったり」と評した。広島県議の中本隆志は、「素朴な人で、出しゃばる気は全然ない。安倍首相夫人とはまったく違う」と笑いながら口にした。

秘書生活5年の1992年8月、文武が65歳で死去した。翌1993年7月、中選挙区制の最後の総選挙に、旧広島1区(定数4)から父の地盤を継いで36歳で初出馬した。

広島では学校時代の友達はゼロで、秘書時代に人脈作りのために青年会議所のメンバーとなったが、選挙でその仲間が実働部隊を担った。元メンバーで広島市在住の久保田育造(久保田本店社長)が述懐した。

「選挙になって慌てていた。事務所の人に手伝ってくれと言われてポスター張りもやりましたよ。演説は正直、下手くそだった」

無所属1人を含む7党8人の争いだったが、自民党単独候補の岸田は弔い合戦である。新人ながらトップ当選を飾った(以後、連続9回当選)。首相の宮澤喜一は親戚(父方の叔母の夫の兄)だった。当選後、父と同じ宏池会(当時は宮澤派)に所属した。

ところが、いきなり宮澤内閣崩壊、細川護煕首相の非自民連立政権誕生という場面に遭遇した。同期初当選に安倍、野田聖子(当時は総務相)、塩崎恭久(元厚生労働相)、田中眞紀子(元外相)、根本匠(元復興相)らがいた。

 「いきなり野党」の体験を共有する同期組の仲間意識は強かった。後に岸田、塩崎、野田、根本らが安倍内閣に入閣することになる。

転機は「加藤の乱」