政治部記者時代、あのハルバースタムに取材したら「なぜ日本の政治記者は自ら政治に関係したがる?」と逆取材され、こう言われた。「自ら関係すればジャーナリストではなくブローカーだ」。ユーゴ紛争の現地取材で米欧による「セルビア=悪」の構図を疑問視する記事を書いても、本社は一顧だにせず外電を優先する。日本のメディアに違和感を抱き、究明すべく研究者に。違和感の源流は戦時下にさかのぼるようだ。
過去に学ばない人々 いまだに権力ともたれ合う
──戦時下、新聞は「一方的に弾圧された被害者」ではなかった。
自由な報道が厳しく規制されたのは事実ですが、新聞が積極的に「参戦」したのも事実です。
新聞社は、社会に情報を提供する公的な顔と同時に営利企業としての顔を持っていて、「戦争は新聞を肥(ふと)らせる」という言葉があります。家族が従軍し、戦況が生活に直結するため、戦争の情報を得たい人々が新聞を購読するのです。明治期に「萬朝報(よろずちょうほう)」を創刊した黒岩涙香はこう言いました。「新聞社経営の要諦は、平時においては反政府、戦時においては親政府」。
1937年に日中戦争が始まると新聞は「報道報国」の下、愛国報道を展開しましたが、その根底には戦争をビジネスチャンスと捉えて営利を追求する思惑があった。その5年前の満州事変時、『東洋経済新報』主幹の石橋湛山は新聞について「大衆に阿(おもね)り、一枚でも多くの紙を売ることのほか、何の理想も主張もなきが如(ごと)き」と批判、新聞の本質を看破していた。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
ログイン(会員の方はこちら)
無料会員登録
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け
トピックボードAD
有料会員限定記事
連載一覧
連載一覧はこちら
ログインはこちら