なかにし・ひろあき 1946年生まれ。70年東京大学工学部卒業、日立製作所入社。欧州総代表や北米総代表などを歴任。2007年に本社副社長を退き米国子会社会長に専念。09年に副社長として日立復帰。10年社長、16年会長(〜21年5月)。18年から21年6月まで経団連会長を務めた。6月27日リンパ腫のため逝去。享年75。(撮影:大澤 誠)

経団連前会長、日立製作所前会長の中西宏明さんの訃報に接したとき、頭に浮かんだのは2つの「イフ」だ。

1つ目は、もしリーマンショックがなかったら、というイフだ。

2009年3月期、日立は7873億円の最終赤字を計上した。これは当時、日本の製造業で最大の赤字だった。会社が潰れかねない危機に、本体を離れていた川村隆さんが会長兼社長、米国子会社会長に転じていた中西さんが副社長として日立に舞い戻った。

社会インフラと情報システムを組み合わせた社会イノベーション事業に集中する──大きな方向性を定めた川村さんが1年で社長を退いた後、中西さんが次々と実行に移していった。不採算の事業や内外の工場を整理し、ノンコア事業は利益が出ていても売却した。バランスシートと資本市場を意識した指標を事業部ごとに導入するなど体質改善に努めた。12年3月期の最終利益は3471億円となり、31年ぶりに最高益を更新した。

00年代後半、衰退が続く日の丸電機の代表が日立だった。善しあしは別にして、東芝は原子力と半導体という柱を明確に示していたが、日立は総花経営を引きずり意思決定も遅い「沈む巨艦」だった。