東京には昔、「隅田川の渡し」と総称される渡し船があった。1964年の夏、東京オリンピックが開催される少し前に、筆者は中央区明石町の自宅近くからその1つに乗ったことがある。対岸の月島に渡る船だったが、「もう渡し船はなくなっちゃうの。だから乗っておかなきゃね」と言った母の声が今でも鮮明によみがえる。母は当時4歳の筆者に渡し船の記憶を刻もうとしたのかもしれない。

船は築地や東銀座方面で行商をしてきた商売人や月島で働く工場労働者でごった返し、大きな自転車もそのまま乗り込んでくる。圧倒的なパワーと喧噪に、筆者は船の隅のほうで小さくなっていた。

東京都が運営していた渡し船には、今も「東京都紋章」として使われている、太陽を中心に6本の光が放たれているさまを表す紋章がしるされていた。筆者が乗った「佃(つくだ)の渡し」は、五輪開催に備えて64年に架橋された佃大橋の完成を前に、その役割を終えた。