ある2つの会社が値下げ競争を停止する協定を結んだ。にもかかわらず、両社がともに値下げを進める事態が生じる。現場社員が強硬な値切り交渉に屈し、経営トップにとって不本意な値下げ競争が再開したのだ。

実はこの話は、今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一をめぐる1880年代の実際のエピソードだ。渋沢が設立した企業は500社超。それらの多くは明治・大正期日本の産業化をリードしたが、設立件数が多ければ不調の例も少なくない。本稿では、その事例の1つを取り上げ、個人の才覚ではあらがうことのできない経済のメカニズムについて探っていきたい。

明治期の海運市場は、岩崎弥太郎の率いた郵便汽船三菱会社の独占状態にあり、その弊害が問題となった。価格の吊り上げや船の隻数不足などが引き起こされたのだ。海運は軍事輸送にも物流にも関わる点で重要な政策案件である。政府は再三改善を促したが、状況は変わらず、外務卿・井上馨と農商務大輔・品川弥二郎は海運会社を新設する準備を始める。その際に助け舟を求めた相手が、渋沢だ。

全国の海運を制覇した郵便汽船三菱に対抗できる海運会社をゼロから創設するのは至難の業である。だが、新会社設立に際して、次の2つの要素が渋沢を支えた。