外出制限などコロナ禍で自由を規制した米国。抵抗したのは保守派であった(Chang W. Lee/The New York Times)

差別的発言に過剰な懲罰を与える「キャンセルカルチャー」について前回(5月22日号)の当欄で紹介した。この問題をめぐっては米国では左右の思想の逆転のような現象が起きている。過剰な処罰が言論の萎縮を引き起こしていると批判して「言論の自由」を掲げるのが主に保守派、逆に言論規制を求めるのがリベラル派という構図になっている。

キャンセルカルチャーは大学でよく見られる現象だが、1960〜70年代に「言論の自由」を訴えたリベラル派学生らに対し、規制を求めたのが大学当局と保守派だったのとは逆だ。違いは、かつては「政治的言論」をめぐってだったのが、今は「文化的言論」での対立であることだといえるが、この2つの境はあいまいだ。

キャンセルカルチャーの思想的な背景は何なのか。先月原稿を書く前に、この問題に関わる「アイデンティティー政治」についての著書もある政治思想家フランシス・フクヤマにZoomで聞いてみた。あらゆる事象の中に隠れた偏見を探り出す「批判理論」が背景の1つだが、とくにフランスのポストモダン哲学者ミシェル・フーコー(1926〜84)の影響が大きいとフクヤマは言う。