築地は筆者にとって特別な街だ。父親が聖路加国際病院の医師だったため、中央区明石町、当時の聖路加ガーデン内にあった病院社宅で育った。明石町と築地は隣町のようなもの。小学校低学年の頃は晴海通りからバスに乗り、築地は通学路でもあった。

現在の築地6丁目付近は、当時は小田原町と呼ばれ、多くの商店が軒を連ねていた。小田原町は江戸城建築に際して小田原藩の石工などが住んでいたことからついた町名で、現在も6丁目には築地署の小田原町交番がある。

本願寺の寺町として発展

築地といえば市場だが、街の中央に立つ築地本願寺を中心に寺町が形成され発展してきた街でもある。当初は現在の日本橋横山町付近にあった京都の西本願寺の別院が、明暦の大火によって焼失。その後1679年に現在の地に再建され「築地御坊」と呼ばれるようになったのが築地本願寺だ。