西洋絵画史の流れをいささか乱暴にいうならば、「静、動、静、動」の繰り返しです。宗教画中心の中世が終わり、ルネサンスが始まってからが、私たちの知る「名画の時代」といえるでしょう。ルネサンスとは「古代的人間賛歌の復興」といった意味です。中世には許されなかったヌード画が現れました。

やがて上品で静的なルネサンス絵画は飽きられ、画面に激しい動きのあるバロックの時代へと移ります。バロックが極まると食傷気味となり、先祖返り的な新古典主義が席巻、王侯貴族好みの甘いロココと並行します。ここからは変化のスピードがアップします。

間もなくバロックをもっと激しく劇的にしたロマン主義が現れ、それでは芝居じみているから現実に即せとばかり、写実主義が登場。それもつまらんと、インテリ向きの象徴主義が対抗します。

ナポレオンが造った公共美術館が各国に広がり、芸術絵画を見られるようになった庶民(それまでの絵画は教養ある上流階層のものでした)は、神話や歴史やシンボルなどはよく理解できないからと、見てすぐわかる絵を求めました。

こうして「意味のある絵」から「意味のない絵」、つまり「何を描くか」より「どう描くか」を重視した、わかりやすく目に心地よい印象派の時代が到来したのです。日本が洋画を積極的に導入したのはこの頃でしたから、絵は見て感じればいいという風潮になったようです。

でも印象派以前の絵画には意味があり、画家はその意味をどう視覚化するかに苦心し、鑑賞者はその意味とともに画面を味わっていたのです。そんな意味などどうでもいい、感じればいい、というのは、画家に対するリスペクトが少し足りない気がします。

ベラスケスのマジック

では初期ルネサンスのボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』から見ていきましょう。海の泡から生まれたヴィーナスが、貝に乗り、キプロス島へ到着したところです。バラが周囲に舞っています。美しいけれど、とげのあるバラは彼女の誕生とともに生まれたとされます。「美と愛欲と豊穣の女神」そのものですね。

『ヴィーナスの誕生』 サンドロ・ボッティチェリ
西風の神ゼピュロスと、春と花の神で妻のフローラ、裸のヴィーナスに布を掛けようとしているのは時の神ホーラといわれる。1483年ごろ イタリア・ウフィッツィ美術館

北方ルネサンスの画家エイクの『アルノルフィーニ夫妻像』には富裕な商人とその妻が超絶技巧で描かれています。北方の画家は細密画のように細かく描き込む傾向があり、ミケランジェロから「何もかも描こうとして何も描けていない」などと言われたようですが、その彼の人物像は女性や子どもに至るまで筋肉過多だと反撃を食らったとか。