親族の証言や1次資料で解き明かした杉原の心情 人道の港調査研究所代表 古江孝治氏に聞く

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ふるえ・たかはる 1950年生まれ。立命館大学卒業後、福井県敦賀市役所に勤務。ポーランド孤児やユダヤ避難民の敦賀上陸などを展示する資料館・旧「人道の港 敦賀ムゼウム」開設に携わり、初代館長に就任。杉原千畝、ユダヤ避難民などの研究のため「人道の港調査研究所」を設立。
杉原千畝の実像 ――数千人のユダヤ人を救った決断と覚悟
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ナチス・ドイツなどの迫害を逃れてリトアニアにやって来たユダヤ人ら避難民に日本への「命のビザ」を発給した外交官・杉原千畝。ただ、彼の行動が知られる過程で、実像とは懸け離れた話も広がっている。多くの証言や1次資料を掘り起こしながら明らかにした、杉原の実像とは。

「かわいそうだった」が命のビザ発給の強い動機

──杉原の四男・伸生氏が「千畝の人間性まで掘り起こして分析されている」と評価しています。

伸生氏から生前の杉原について多くの証言を得ました。またビザ発給当時の状況など、外交電文といった当時の資料を読み解くことで、彼の心の中に分け入ってビザ発給までの決断と覚悟に迫りました。これまでの杉原像とは違う点も明らかにしました。

──ビザ発給は「避難民らがかわいそうだった」からという杉原の率直な気持ちが印象的です。

当時の外務省の訓令は「ビザ発給の要件を満たしていない者にビザを出すな」でした。事実上の発給禁止です。ただ、杉原はドイツの動きを分析した結果、「ユダヤ人をここに残しては、すべてが迫害・殺害される」と確信していたことがわかります。杉原は生前の1977年に日本のテレビ局とのインタビューで「避難民は行くところがない、後ろからドイツが来るから、日本を通ってよその国へ行くのだ」と訴えています。「(ビザ発給を)断ったら、どこへ行くかね。かわいそうだ」と率直に述べています。それこそ、行動の原点だったと思います。

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