公害病という負の歴史を持つ四日市コンビナートだが、現在は夜景スポットとして人気を集めている(写真:三重フォトギャラリー)

昭和の世代が「四日市」と聞いて思い浮かべるのは、「公害の街」の印象だろう。日本は高度成長が続いた1960年代から70年代にかけて、全国各地で工場などから排出される金属類や廃液、ばい煙などを原因とする公害病に悩まされた。そのうち4大公害病と呼ばれたのが、熊本県水俣市不知火海沿岸での水俣病、新潟県阿賀野川流域での新潟水俣病、富山県神通川流域でのイタイイタイ病、そして三重県四日市市での四日市ぜんそくだった。

四日市は伊勢湾の北西岸にある。天然の良港といわれ、古くから漁業や交易が盛んに行われた。安土桃山時代には九鬼水軍で名を馳せた九鬼嘉隆が治めたが、江戸時代には天領となり東海道の宿場町「四日市宿」としても栄えた、「人の集まる街」であった。

戦後は中京工業地帯の中核を担う工業都市として位置づけられた。海水浴場はなくなって、護岸には貨物船を横着けできる港が整備され、石油化学コンビナートの工場群に生まれ変わった。