1980年代後半、日本経済が徐々にバブルの様相を見せ、地価が急速に上昇し始めていた頃、筆者の知人が「やっとマイホームを買ったよ」と笑顔で言った。彼が手に入れた憧れのマイホームは、当時日本住宅公団(現在のUR都市機構〈都市再生機構〉)と三井不動産などが分譲していた茨城県・守谷の戸建て住宅だった。

「守谷とはどこですか。通勤は?」と尋ねたことをよく覚えている。当時「守谷町」だったこのエリアは、取手市の北西、利根川と小貝川に挟まれて広がる平地だ。都心へのアクセスは、まず街を北西から南東に貫く関東鉄道常総線に乗り20分ほどで取手駅へ、そこでJR常磐線に乗り換えて上野駅まで40分ほど。乗車中だけで約1時間にもなる。しかも常磐線は通勤で大混雑する路線だ。

最寄り駅まで車での送迎が必須だった彼の家は、気の遠くなるような立地に思えた。だが、これが当時の一般的なサラリーマンが追い求めた夢のマイホームの現実だったのだ。