目的のためなら敵さえ優遇 「映画の力」を信じた独裁者
評者/法政大学名誉教授 川成 洋

『ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱』ビル・ニーヴン 著/若林美佐知 訳(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
[Profile] Bill Niven 英ノッティンガム・トレント大学のドイツ現代史の教授。研究領域はナチズム、ヒトラー、第三帝国の記憶、東ドイツの歴史と記憶、現代ドイツ、20世紀ドイツの映画と文学など。本書(原著は2018年刊行)が本邦初訳。

第1次世界大戦で完敗したドイツは、天文学的な額の賠償金支払い、海外領土の放棄などを含むベルサイユ条約を受諾した。こうした恥辱に終止符を打つためのメッセージを、拡声器のごとく放ったのがヒトラー。本書は彼が映画をいかに利用したかを明らかにしている。

1933年の政権掌握以来、彼は官邸と自邸の大広間にホームシアターを備え、ほぼ毎晩餐後、2〜3時間、映画を鑑賞する「映画中毒」だった。そこには、ユダヤ人、ロシア人、米国人が制作した映画までもが含まれていた。「映画は世界を変える力がある」と固く信じていたヒトラーは、映画制作・公開などの実務はゲッベルス宣伝大臣に委ねたが、その最終的決定権は自分が握った。第2次大戦前、ヒトラーは自身が登場する週間ニュース映画の上演館に姿を現し、その映画館を興奮のるつぼと化すこともしばしばだった。

芸術的なプロパガンダ映画を望んでいたヒトラーは、33年のナチス党大会の記録映画の監督を31歳のレニ・リーフェンシュタールに託した。その出来栄えに満足し、34年、35年の党大会、さらに36年のベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』も任せ、彼女も負託に応えた。『オリンピア』は、ナチズムの負の性格、つまり欧州征服の野望や人種的偏見などを隠蔽し、ヒトラーを完璧に洗練された温和な人物として描き、ナチズムとヒトラーに関する心地よい神話を創り上げた。

ポーランド侵攻から40年6月のパリ占領まで、連戦連勝のドイツ軍を活写する週間ニュース映画には、凛々(りり)しいヒトラーの姿は欠かせないものだった。このころから、映画制作に協力するという条件で、著名な俳優や監督の名が「総統名簿」に記され、兵役免除などで優遇された。驚いたことに、ナチスの迫害対象であるユダヤ人、同性愛者、社会主義者も含まれていた。

その後、43年2月のスターリングラードでの敗北を機にヒトラーはニュース映画と疎遠になる。ドイツ軍の戦況悪化、それにヒトラーの「猫背と左手の震え」も原因であった。こうした状況で、最後のプロパガンダ映画『コルベルク』が45年1月に封切られる。それは、孤立した要塞の町コルベルクで前線と銃後が一致団結してナポレオン軍を撃破したという史実を映画化したものであった。戦況を変える「映画の力」を期待していたのだった。

ヒトラーは頑迷固陋(ころう)な独裁者だが、こと映画に関しては、恣意的な折衷主義者であり、ロマンティストだった。