(buritora / PIXTA)

今年2〜3月に行われた日本弁護士連合会(日弁連)の会長選挙は異例の展開となった。過去最大の立候補者数で、しかもかつてないほどの混戦となり、事前の予想を超えた合従連衡や対立のドラマを生んだ。

全国に4万2000人いる弁護士の強制加入団体である全国52の単位弁護士会と、それを束ねる日弁連。その実態は、政界も顔負けの派閥と談合の世界だ。

弁護士会活動は熱心な層とまったくの無関心層とで両極化しており、一般的な傾向として若手は関心が薄く、中堅以上でも稼げる弁護士ほど無関心。会長選も「あまりピンとこない」(都内の30代弁護士)が、熱心な層にとっては2年に一度、必ず巡ってくる一大イベントなのだ。

東京、大阪が独占

今回の特徴の第1は、過去最高の5人もの立候補者が出たこと。

第2に、これまで大半の会長を輩出してきた東京弁護士会(東弁)、第一東京弁護士会(1弁)、第二東京弁護士会(2弁)の東京3会と大阪弁護士会以外の、地方の弁護士会から3人もの立候補者が出たこと。

そして第3に、地方会から立候補した、仙台弁護士会の荒中(あら・ただし)氏が当選を果たしたことだ。

荒中・日弁連会長は1954年生まれ、82年に弁護士登録した(読売新聞/アフロ)

日弁連は戦後生まれの組織である。終戦まで旧司法省の監督下にあった弁護士が、1949年施行の新弁護士法によって、国家権力から完全に独立。自治権を与えられた弁護士が、国家による人権侵害から国民を守れなかった反省に立ち、自発的に自浄機能を発揮する団体として同年9月に発足した。

『東京弁護士会百年史』(東京弁護士会)や『法曹三國志』(岩田春之助著、法律新聞社)などの80年代に出版された書籍によれば、日弁連は創立当初から、会長は全国の単位弁護士会の代表である代議員の投票で選出されてはいたが、候補者は事実上、東京、大阪の一部有力者間の談合で決まり、選挙は形骸化していたらしい。

高度経済成長期の弁護士を取り巻く社会的、経済的環境は、都市部と地方では大きく異なった。日弁連内部で「中央」と「地方」の利害が対立することも多く、その状況下で「中央」が主導権を握るために取った戦略が、「日弁連会長は東京、大阪から出す」こと。