「地味内閣」をあえて選択したのも、長期本格政権にらみの布石か(毎日新聞社/アフロ)

菅義偉首相に3カ月前の6月21日、インタビューしたとき、「官房長官という立場を離れて、政治リーダーとして、日本の将来像、その実現のためにどんなシナリオを」と質問した。菅氏は「高校まで秋田県で育って、ゼロから政治家になった。日本は地方も都会もきちんと連携して発展していかなければ。それが私の原点。地方での消費を拡大するための切り札の1つが、私のライフワークの農業改革。そこで大事なのが役所の縦割りの打破」と主張した。

安倍晋三前首相の突然の辞意表明で急浮上し、自民党総裁と政権の座を手にした菅首相は、総裁選出馬の際、真っ先に「安倍路線継承」を唱えた。退陣する安倍氏も含め、党内の期待がその点にあると認識し、勝利の方程式と見定めた遠謀深慮だったのは疑いない。

だが、9月12日の総裁選3候補討論会では「自助・共助・公助」「縦割り行政、前例主義、既得権益の打破」「規制緩和」を明言し、独自路線を打ち出した。外交や安全保障では安倍路線継承が基軸だが、経済政策を含む内政の全分野では、「霞が関の官僚機構との連携・協調」重視だった安倍路線ではなく、菅流の独自路線への挑戦が本心とみて間違いない。

菅首相の実質的な政治家デビューは、小泉純一郎内閣末期の2005年、竹中平蔵総務相の下で総務副大臣を務めたときだった。そこに着目すると、菅首相が今、手本とするのは、01~06年に「自民党をぶっ壊す」と叫んで構造改革路線に挑んだ小泉流政治と映る。

小泉元首相は就任時から自分流で突進した。一方、菅首相は「前首相の残任期1年の限定総裁、衆議院議員任期満了まで1年の限定首相、コロナ危機が未収束の不透明政治、1年延期の夏季東京五輪開催」という4つの束縛を背負う。「身動きが取れない新政権」という苦難の出発である。