週刊東洋経済 2020年8/8・15合併号
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「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛ぶ」。これはヘーゲルの有名な言葉である。知恵の神の従者であるふくろう(哲学)は、夕暮れにしか登場せず「哲学はいつも遅れてやってくる」。事態が終わってしまった後に出てきてその本質を語る、という意味だ。喫緊の事態はいまだ現在進行形なのだが、それでも哲学は、コロナ問題をどう考えたらよいのか、その視座をある程度提供することはできるのではないか。曖昧だった事象の構造を示せると思われる。

東京女子大学教授 黒崎政男(くろさき・まさお)1954年生まれ。専門はカント哲学。 人工知能、電子メディア、カオス、生命倫理など現代的諸問題を哲学で解明する。『今を生きるための「哲学的思考」』『身体にきく哲学』など著書多数。

21世紀に生きるわれわれにとってはあまりにも当然のことだが、われわれはこのコロナ禍から自分を救ってくれるのは、宗教でも思想でもなく、医学を中心とする科学的知見であり、科学こそが、コロナの正体とその対処法を突き止め、乗り越えられると信じている。

一方、宗教界の対応はどうだろう。「3月下旬のイタリア。コロナ患者の臨終に終油の秘跡を素手で行った神父ら聖職者たち数十人が感染して次々と命を落とした」「日本の神社・寺院で身を清めるはずの手水舎は、感染のおそれがあると科学者に指摘され使用禁止となった」などさんざんである。

今や指導的立場になったのは免疫学者や感染症研究者など、自然科学者である。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリはコロナ禍に関して、私たちのヒーローは「死者を埋葬し災厄を天罰と解釈する聖職者」ではなく「人々の命を救ってくれる医療従事者」そして「実験室の科学者たち」だ(3月28日付英紙ガーディアン)と指摘している。