自公連合はいつまで続くか。写真は公明党の山口那津男代表と安倍首相(毎日新聞社/アフロ)

自民、公明両党が「政党連合」となって20年が経った。政党連合は、あまり聞き慣れない政治用語だが、政権選択選挙である衆議院選挙での勝利、その後の連立内閣の維持あるいは樹立を目的として国会での連携、選挙協力体制を築く政党間関係を指す。その時点で内閣を共にしているか否かは要件ではないため、与野党いずれにもある関係だ。

自公は1999年10月に自由党を含めて連立内閣を発足させていたが、2000年初めからは選挙協力体制づくりも推し進め、この年6月13日の衆院選公示までに作業を終え、選挙戦に臨んだ。「神の国」発言など当時の森喜朗首相の不用意な言動で内閣支持率が低迷する中、自民党の議席減は想定以下に抑えられ、与党で271議席という絶対安定多数を確保した。選挙協力は奏功したと受け止められ、この後、協力度合いは深まり続けた。

公明党が主張を通すために連立離脱の構えを見せたこともあったが、本格化には至らず、政党連合は09年から3年余りの野党時代も含めて続いている。下野直後、公明党が関係を「白紙」に戻そうとしたことはあったが、民主党政権の急激な失速もあり解消には至らず、10年の参院選でも地域ごとの選挙協力は行われ、12年の衆院選でほぼ復活、政権を奪回した。その後、野党が分立する中でさらに強みを発揮し、国政選挙で連勝。両党は政党連合をそれぞれの党運営の大前提としている状態だ。政党連合が20年以上続くのは、国際的にも珍しい。

なぜ、下野があっても自公連合は続いたのか。1つには、小選挙区で主に自民党公認に候補を絞り、公明党が支援、見返りに比例代表では自民党候補が支持者に公明党に投票するよう呼びかけるという、それぞれの党の態様と制度をうまくマッチングさせた選挙協力のあり方のためだろう。

もう1つの要因は、自民党総裁である首相が陣取る首相官邸と、公明党の支持母体である創価学会の特異な関係であろう。安倍政権の司令塔である菅義偉官房長官と創価学会の政治・選挙担当の副会長との深い関係が政権の安定的な運営をもたらしていることは、政界関係者の間では暗黙の了解だ。