阪神・淡路大震災のときはインフルエンザが蔓延していた(写真提供:防災システム研究所 撮影:山村武彦)

感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。

例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ)(インフルエンザ)の流行が続いていた。『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。当時の国の数に合わせ66本の鉾(ほこ)を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢(けが)れを祓(はら)い厄払いした。以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。

江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しは ぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。