東京・吉祥寺のキャンパスに、小学校から大学までを擁する成蹊学園。1924年に池袋から現在の場所に移転した(撮影:佐々木 仁)

成蹊学園|岩崎小彌太が支援

東京・武蔵野市。JR中央線の吉祥寺駅から徒歩15分ほどの住宅街に、大学、高校、中学校、小学校のすべてが1カ所にそろう「成蹊学園」がある。学園前を通る五日市街道から校舎近くまで続くケヤキ並木が環境省の「残したい“日本の音風景100選”」にも選ばれる緑豊かなキャンパスだ。

本館前の庭園に立つ、岩崎小彌太元理事長の記念レリーフ。創立50周年の際に制作された

戦前の旧制高等学校時代は、成城や武蔵、甲南と並び、私立の7年制(尋常中4年、高等科3年)高等学校の1つとして富裕層の子が通う学校だった。現在、大学には経済、経営、法、文、理工の5学部がある。

教育関係者の間では、成蹊学園は「三菱系」と認知されている。なぜなら学園の創設に、岩崎彌太郎のおいで三菱財閥4代目総帥の岩崎小彌太が大きく関わっているからだ。成蹊学園の創設者は、大正自由教育の旗手といわれた中村春二。1906年に中村が学生塾・成蹊園を設立した際に、主に資金面で支援したのが、中学校の同窓だった小彌太と今村銀行(現在のみずほ銀行の一部)頭取の今村繁三だった。

三菱重鎮が理事長に

12年に学校を開校。中村の死後は、小彌太が経営を担うようになり、25年には理事長に就任する。財政基盤の強化が目的で、「後援者が教育の実際に介入するのはよくない」(『成蹊学園百年史』)と述べていたが、三菱の支援は今なお続いている。歴代の理事長には、下表のとおり三菱グループの重鎮が就任している。