人権救済申立書を提出後、集会に登壇した米田さん(左から2人目)(撮影:梅谷秀司)
週刊東洋経済 2020年2/15号
書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

「緊急の帝王切開で手術室に入り、出てきたときには卵管結紮(けっさつ)されていました。自分のまったく知らないところで不妊手術をされていたと聞いたときはショックでした」。1月30日、日本弁護士連合会に人権救済の申立書を提出した米田恵子さん(42)は、その心中を吐露した。

申し立ては旧優生保護法下での強制不妊手術の救済策が議論される一方、条項の削除後も、精神障害者などに不妊手術が行われている実態を告発するものだ。

米田さんはごく最近まで、精神科病院に長期入院していた。最後の子どもを分娩(ぶんべん)し不妊手術が実施されてから1年後の2016年2月に入院し、その後院内での生活はおよそ4年間にわたった。

日本では精神疾患により医療機関にかかっている患者数は400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は下図のとおり約28万人と高止まりを続けている。精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は17年時点)。だが、一般病床とは異なり、閉鎖病棟が多い精神病床の内実が表に出ることはまれだ。彼女はなぜ長期入院を余儀なくされ、そしてどのような生活を送っていたのだろうか。

入院しているときは二度と出られないかと

世間では正月休みが明けたばかりの、1月6日午前10時。米田さんは東京都八王子市にある精神科病院「多摩病院」から退院した。

「日常のささいなことがすごく幸せです」。退院から10日ほど経った1月半ば。取材に応じた米田さんは、そう笑顔で話した。病院では週に1度しか食べられなかった好物の麺類を好きなときに食べたり、少し夜更かしをしてテレビを見たりすることに、幸せを覚える日々だという。「何よりの幸せは、家族や友人と自由に連絡が取れることです」。

「今のほうが本当は夢で、目が覚めたらやっぱり現実は閉鎖病棟内のままだった、と想像すると、怖くなって泣き出しそうになります。入院しているときは二度とここから出られないと思ったこともありましたから」

米田さんはそう振り返った後、語気を強める。「この4年間、家族とは面会はおろか、声を聞くことすらかないませんでした。入院当時、中学1年生だった次男は今では高校生。すっかり声変わりしていて成長がうれしい反面、一緒にいられなかった悲しみもあります。人生の貴重な時間を奪った病院のことは、決して許せません」。

入院前年の15年、彼女にとってショッキングな出来事が相次いだ。1月には卵管結紮に加え、生まれたばかりの五女が、続いて9月には三女が、八王子児童相談所に保護されていった。米田さんがうつ傾向にあり、一時パニック障害を生じ通院していたことから養育が難しいと判断されたとみられる。以来、精神的に追い詰められ、精神安定剤などをオーバードーズ(大量服薬)したことで、多摩病院へ入院することになった。

多摩病院を見つめる米田さん。奥の建物4階の閉鎖病棟で多くの時を過ごした(撮影:梅谷秀司)