学術のためか社会のためか、大学機能の難しいバランス
評者・甲南女子大学教授 林 雅彦

『大学論を組み替える 新たな議論のために』広田照幸 著(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
[Profile] ひろた・てるゆき/1959年生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。南山大学文学部助教授、東京大学大学院教授などを経て、現在日本大学文理学部教授、日本教育学会会長。『陸軍将校の教育社会史』『教育言説の歴史社会学』『教育は何をなすべきか』『教育改革のやめ方』など著書多数。

「FD」「SD」「IR」「三つのポリシー」「質保証」……。いずれも大学関係者なら誰でも知っている基本用語だ。2年前、大学院卒業以来約30年ぶりに実務の世界から「大学」に戻ってきた評者には、当初、どれ1つわからなかった。

教育は国民の最大関心事の1つである。しかし、大学入試制度には関心が集まっても、近年の大学改革についてはあまり知られていない。本書は、「大学側」当事者による大学改革についての論文集である。

現在、「大学は社会の役に立っていない」という批判の下、経済への貢献が強調され、組織論を援用して、上(政府、実業界など)から戦略的目標、効率性、評価などを軸とした改革が求められている。

そのため、各教員の専門が異なる中で学問の自由、自立性、多様性を基礎とするボトムアップによる改革の動きとの間で対立や葛藤を生む。これは、双方が全く異なる原理や価値をもつためであるとの分析は、実務世界の組織論にどっぷり浸かってきた評者にとっては新鮮であった。そして、この対立や葛藤は実はその両者の間の「対話」であるという見解は面白い。

また著者は、大学の機能の中心に「学術のための学術」(社会への有用性からはいったん切り離された知の探究と伝達)を据え、不断の研究による成果の還元こそが大学の使命であると考える。よって、「社会のための学術」の重要性は認めつつも、機能の外縁にあるべきとする。そして、双方相まって経済、公共、文化に作用する(現在は経済ばかりが強調されすぎている)のが大学の機能であるという。この主張は、「専門学校ではない」大学のあるべき姿として十分首肯できる。

さらに、実業界からの職業準備教育の要求が学生の学術習得軽視を招くと懸念する。一方で、専門能力の涵養については、専門職大学院などの拡充をしても企業側が大学院卒を重用しないという矛盾を突く。企業が学生に「自分が大学生の間に(学術面で)何を身につけたか」を説明させることが学生の学術習得につながるという提言には大いに賛同したい。

しかし、大学のユニバーサル化(進学率上昇)が進んだ今、「学術のための学術」を強調しすぎると皮肉な結果が待ち受けよう。実践的な専門性や技能教育の欠如は、技能なき学生の一括採用という日本特有の「メンバーシップ型」雇用への依存を一層高め、二極化が深化する社会で無技能者は下層に追いやられる。

まだまだ「対話」が必要だ。