12月2日の新体制発足会見で内田社長(左)と握手した関氏。改革への意気込みも語ったが…(撮影:梅谷秀司)

昨年の12月24日、日産自動車の社員に大きな衝撃が走った。再建のキーマンだった関潤・副最高執行責任者(副COO、当時)が電撃退任し、将来の社長含みで日本電産に転職することが明らかになったからだ。

2018年11月にカルロス・ゴーン会長(当時)が逮捕された後、ゴーン追及の急先鋒だった当時の西川廣人社長も自身の報酬水増しが発覚し、19年9月に引責辞任した。これを受け日産では、内田誠社長兼最高経営責任者(CEO)をトップとして、アシュワニ・グプタCOO、関副COOの両氏がそれを支える新体制が12月1日付で始動。ところが、それからわずか1カ月で新「トロイカ体制」は崩壊してしまったのだ。

(撮影:梅谷秀司、大澤 誠)

関氏は懸案の北米事業の立て直しも含め、全社的な構造改革の陣頭指揮を執り、どういった車をいつ投入するかを決める商品企画部門の責任者も任されていたほどの実力者。西川氏の後任の最有力候補だったが、新体制での役職はナンバー3だった。大株主の仏ルノーから「反ルノー派」として警戒されて社長の芽が消えたことに失望し、日産に別れを告げた。現場に精通したマネジメントとして社員からも手腕が期待されていただけに、退任による影響は計り知れない。