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98歳で逝去、ロッテ重光武雄氏が語っていたこと 「菓子屋が政治的圧力を利用して商売できる時代ではない」

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ロッテ・グループは、グループ創業者でロッテホールディングス名誉会長の重光武雄(本名・辛格浩)氏が19日に死去したと発表した。写真中央は2017年3月、ソウルの裁判所に到着した同氏(2020年 ロイター/Kim Hong-Ji)

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日韓にまたがる企業グループを築き上げたロッテ創業者の重光武雄(本名・辛格浩)氏が1月19日に死去した(以下はロイター電)。
[ソウル 19日 ロイター] - ロッテ・グループは、グループ創業者でロッテホールディングス名誉会長の重光武雄(本名・辛格浩)氏が19日に死去したと発表した。98歳。
重光氏は日本統治下の朝鮮半島から日本に渡り、1948年にチューインガムメーカーのロッテを設立。その後、韓国と日本を行き来し、韓国では小売業から化学に至る家族経営の有力財閥を築き上げた。2人の息子は2015年にグループ経営を巡る対立劇を引き起こした。現在は次男の昭夫氏が統括権を握る。
日本との深い結び付きから、日韓関係が悪化する局面では韓国で世論の批判を受けることもあり、製品ボイコットにつながったこともあった。
18年には、グループの不正経営に絡む事件で懲役3年の実刑判決を韓国で受けたが、健康上の理由で収監は見送られていた。(以上、ロイター電)
「週刊東洋経済」では、ロッテの急拡大期に重光氏に取材をしている。「覧古考新」では、その代表的な記事(昭和44年3月8日号)を紹介したい。
「週刊東洋経済」(昭和44年3月8日号)

ナゾの会社

プロ野球東京オリオンズへの資本参加で、いちやく脚光を浴びたロッテ株式会社は、とかく悪意にみちたウワサと憶測につつまれたナゾの会社である。

第一、売り上げ、利益が皆目わからない。もちろん、資金繰りも明らかでない。社長はすでに有名になったが、重光武雄氏。弱冠46歳で、日本在住三十数年というが、なお韓国籍をもっており、韓国朴政権とのつながりが深い。岸信介、福田蔵相をはじめ、日本の政界筋との関係も密接という。ために、政治献金等でも疑惑の目が向けられ、チューインガムの資本自由化については、一部は、多額の政治資金が流れ、その結果、第二次スケジュールからはずれた、とか、もっともらしい流説もある。

が、重光武雄社長はいう。「岸さん、福田さんなどとの関係は否定しない。しかし、会っても韓国の赤化防止の問題などは話すが、商売の話は一度もしたことはない。自由化阻止にカネを出したなどというのはまったくのデマ。チューインガムの資本自由化は砂糖、シロップ、ハッカなどが極端な保護政策で国際価格の2~3倍も高値になっている点から、筋が通らないものである。私は、原料問題を解釈することが前提で、外国企業と競争できる状態にしてから、資本の自由化は行なわるべきだ、と正規の場を通じて発言しているにすぎない。だいいち菓子屋が政治的圧力を利用して商売できる時代ではないではないか。なるほど、ロッテには代議士が2人(塩見、藤枝)取締役に顔をつらねているが、これも二十数年来の個人的つき合いのある人で、政治的に利用しようなどとは考えてもいないし、そういう事実もない」と否定している。

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