有料会員限定

ビル・ゲイツは1カ月のうち1週間は日本に滞在していた 1984年6月9日号、6月23日号より

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
拡大
縮小
「週刊東洋経済」のアーカイブを紹介する「覧古考新」。1984年6月23日号のグラビア記事はマイクロソフト、ビル・ゲイツ氏に関するものだ。この当時、「1カ月に1週間の割合で日本に滞在していた」という点で、世界のエレクトロニクス・半導体業界を席巻していた日本メーカーとのパートナーシップがいかに重要だったかがわかる。その直前の号(6月9日号)のインタビューでも、日本の重要性を強調している。
拡大する
「週刊東洋経済」の巻頭グラビアページより(1984年6月23日号)

特集「覧古考新」の他の記事を読む

IBMを動かした男ビル・ゲイツ

今、最も注目されるパソコン界の仕掛け人

ビル・ゲイツ。アメリカ人、28歳。大型コンピュータで使われていたBASIC言語をマイクロコンピュータに載せ、一大パソコンブームを作り上げた男。パソコン界の天才と世上言われるが、マイクロソフト副社長で、行動を共にしている西和彦氏が「内側から見れいるからわかるが天才ではないネ。努力の人だ」というほどのモーレツ人間。日本へも1カ月に1週間くらいの滞在で来日する、まさに世界を股に掛けた行動力。来日すれば、日本のパソコンメーカーがこぞって会いたがり、彼の持つコンセプトに耳をそば立てる。そして、そのコンセプトはことごとく実現させてしまう。規格統一機種MSXを一気に実現したのもその好例だ。凡人の我々からすれば、やはり天才だ。

拡大する
貴重な写真の数々(1984年6月23日号)

5月24日、品川・新高輪プリンスホテルで開かれたマイクロソフト社とアスキー社主催のパーティー出席者は2000人以上を数え、日本で一番広いといわれる「飛天の間」をギッシリと埋め尽くした。

関連記事
トピックボードAD
連載一覧
連載一覧はこちら
トレンドライブラリーAD
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
特集インデックス
覧古考新
「今の日本は日満議定書における満州のようなもの」
1984年6月9日号、6月23日号より
1953年のロングインタビュー
1984年に小倉昌男社長が語った「将来は流通業」
「客から仕様の注文があったら、もう遅い」
ホンダ創業者が1954年に語った独自の哲学
松下幸之助氏と永野重雄氏の1969年新春対談
1983年8月27日号で語ったサントリーの生き方
1958年5月24日号で語った廉売合戦への危惧
4男・渋沢秀雄氏が語った大実業家の素顔(上)
4男・渋沢秀雄氏が語った大実業家の素顔(下)
「自由主義経済の経営理念」とは?
山下社長が1983年7月16日号で語ったこと
「菓子屋が政治的圧力を利用して商売できる時代ではない」
1970年2月28号で語った「東京進出作戦」
1953年9月19日号で語ったドイツとの比較
1965年5月1日号「この人にこの問いを」
日本のハンバーガー文化はここから生まれた
1977年に堺屋太一氏が描いた「組織と個人」
稲葉清右衛門「ついてこれない人はやめてもらって結構」
1985年、ファナック社長が語っていたこと
1988年に語った「ヒューマン・ルネッサンス」の経営
ラストバンカー西川善文氏を悼む
過去のインタビューを再掲
東大特別栄誉教授・小柴昌俊氏を悼む
2008年の『長老の智慧』インタビューを再掲
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』エズラ・ヴォーゲル氏を悼む
2019年のインタビューを再録
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT
有料法人プランのご案内