(『東洋経済新報』昭和28年10月6日号)
2019年11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなった。享年101。同氏は1947(昭和22)年の衆議院選挙で初当選。その後20回連続で当選を果たした、きわめて長命な大政治家であった。
「週刊東洋経済」の単独インタビューや座談会にも複数回登場しており、その第一弾が1953(昭和28)年の座談会「日米安全保障条約をどう見る」である。
「日米安保条約下における日本は日満議定書下の満州国的存在」「この条約は日本に歩が悪い。どうしてかといえば、一つには日本民族の歴史的プライドというか、現実的にそういうものがひどく軽視されている」「いま警察予備隊の連中は、一体自分達は警察法規を習うのか、歩兵操典を学ぶのかハッキリしない、憲法から言っても曖昧な存在だというので、精神的に懊悩しております」「自衛力をつくるには、ハッキリ軍隊として組織しなければ問題になりません」「アジア的マーシャル・プランを提唱します」などと力強く再軍備政策を語っている。

 

座談会を行った4人。左から評論家の田村幸策氏、国民民主党衆議院議員の中曽根康弘氏、自由党参議院議員の一松政二氏、日本社会党の河野密氏

本社 この日米安全保障条約というのは、止むを得ない条約であると思いますが、問題はいろいろあるようです。行政措置という手続にしても、再軍備の財政負担や、憲法上の疑義などひっくるめて皆様の御意見をお聴かせ下さい。

まず、日本と中共、ソ連との関係は、この条約によって非常に悪化し、却って戦争の危機を多くすると懸念する向がありますが、この点、一松さんいかがでしょう。

協定をめぐる種々相

対等な軍事同盟を結べ

一松 そうですね、私はこの条約だけによって特に悪化するとは考えない。むしろ日本は、講和条約締結後のいわゆる空白の心配がなくなり、中共やソ連から見ても日本の態度が、ハッキリしてきたということで、却って安定が得られるのではないかと、その逆に私は考えているのです。

中曽根氏は行革庁長官だったときに本誌の表紙を飾ったこともある(昭和56年7月25日号)

本社 中曽根さんいかがですか、その点について…。

中曽根 この安全保障条約は国民の意思でもあるし、国の歩み方としては間違っていないと思います。ただ私は、もっと突込んだ関係にしなければいけないという考えをもっています。

というのは、この条約は片務協定ですから、敢ていえば、日本は丁度日満議定書下の満州国的存在、そういう感じがします。

一方的に庇護されるといったこんな形がなぜ出て来たかといえば、吉田・ダレス会談で吉田さんが「日本は当分の間再軍備の能力と意思がない」と述べたことから軌道がそれたと思う。つまり、ここからあのヴァンデンバーグ決議の手続が出て来た。

むしろ私は、日米両国が対等な軍事同盟を結ぶ、そこまで根締をする、そのためには、われわれは独立後憲法改正と再軍備の意思もある、さらに日本の潜在能力も利用させるというところまで出して、もっと両国を固い関係に結び付けるべきであると思うのです。

本社 その点で突込みが浅いというわけですね。

中曽根 そうです。この条約は日本に歩が悪い。どうしてかといえば、一つには日本民族の歴史的プライドというか、現実的にそういうものがひどく軽視されている。更にこの条約で日本が負担する経費の問題とか、それ以上重大なのは市場と資源の問題がある。が、こういう中途半端な関係では、今後果たしてわれわれは自分の国を自分で守るだけの資源の配当を受けられるかどうか疑問です。

サンフランシスコ会議 ソ連参加の狙い

本社 河野さん、いかがでしょう。

河野 問題がデリケートなので、私の話は党の見解としてでなく、私見としてお聴き願いたいのです。今度の安全保障条約というものは、アメリカとオーストラリア、ニュージーランドとの間にできた太平洋安全保障条約、それからフィリピンとの間に生まれた米比防衛条約ですか、そういうものの一環として結ばれており、条約の意図は、国際連合憲章に基く集団的安全保障という考え方によっていることは、間違いないと思います。

そこで私の考えでは、ソ連が何故サンフランシスコの会議であれだけ反対を主張したか、十三カ条の項目を挙げてみたが、日本国民を惹きつける有利な条件が一つもないのに、何故あの芝居を打ったのだろうかといえば、とにかく、あの講話の背後にはこの安全保障条約というものが直ぐにあるのだ、これを阻止しなければならぬ、という意図が多分にあったと思います。

本社 ソ連代表が、今度の講話は平和のための講話でなく、戦争のための講話だと力説した理由もそこにあるわけですね。