日本迷走の原因えぐり出す、官僚のエセ演繹型思考の罪
評者・青山学院大学教授 会田弘継

『追いついた近代 消えた近代 戦後日本の自己像と教育』苅谷剛彦 著(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
[Profile] かりや・たけひこ 1955年生まれ。東京大学教育学部卒業、同大学院修士、米ノースウェスタン大学で博士号取得(社会学)。東京大学教育学部教授を経て、2008年からオックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。『大衆教育社会のゆくえ』『階層化日本と教育危機』など著書多数。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と1970年代末に賞賛されてからしばらく後、日本は迷走期に入った。「失われた10年」が20年、30年と続いている。それは、ことによると日本人の時代認識や社会の理解に本質的な変化が起きたからではないか。そう考えたなら、ぜひ本書をひもといてほしい。

日本人の「近代(化)観」の変容をたどり、迷走の奥底にある原因を探って処方を示した力作である。仮説ではあるが強い説得力を持つ。

日本は明治維新以来、先進近代国家である欧米をモデルとして国家主導型の「追いつき型近代化」を進めてきた。先頭を切る欧米の「自然成長的近代化」に対し、「目的意識的近代化」である。これが日本の知識社会だけでなく、海外の研究者も含めた日本近代(化)に対する見方だ。

その「追いつけ」という目的意識を持った近代化がいかに終結してしまったのか。著者は日本人の言説から「近代(化)」という言葉が「消された」事件としてその終結を扱い、犯人捜しをする。実際、そうした単語の使用が激減したことは数値で示される。

手掛かりは大平正芳首相が組織した政策研究会の報告書(80年)と、その時代認識を受けて80年代半ばに出された臨時教育審議会の答申にあった。これらの文書は、当時欧米をしのぐ勢いの経済大国になった日本が、追いつき型近代化を終え、目標として参照するモデルのない時代に入ったという認識を示した。

経済面のみで追いついたに過ぎないのに、これら政策文書の起草に当たった香山健一を中心とする保守系知識人らは「追いつき」が終わって自ら進路を探る時代が来たと見た。そうした課題に応えようと導入されたのが「新自由主義政策」と「日本的価値への回帰」であった。これら新政策の底の浅さが日本を迷走させることになる。

他方、著者は迷走のさらに深い原因を、明治日本の官僚エリートが条約改正を目指し欧米の制度を取り込む際に用いた「演繹(えんえき)的思考」にあると見る。全く環境の異なる日本に制度を移植するには類推で解釈するほかなかった。

著者の専門である教育分野での迷走は、その流れをくむ官僚の「エセ演繹型思考」が原因であり、意味不明の学習指導要領などに如実に表れているという。興味深い分析だ。

著者が提起するのは、人々の暮らしの現実から徹底した「帰納的思考」で生み出す政策である。重要な提言だ。昨今の大学入試改革問題の混乱解決にぴたりとあてはまる。