会談前に握手する小池百合子都知事とジョン・コ ーツIOC調整委員長(時事)

最近、日本はもはや先進国ではなくなったと思わせるような出来事がしばしば見られる。中でも、IOC(国際オリンピック委員会)が東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌で開催したいと言い出したことには、衝撃を受けた。現実を無視した計画を立て、あらゆるまっとうな疑問を無視し、当初の計画に固執した揚げ句に失敗するという日本におなじみの意思決定のパターンを繰り返しているからである。東京都はこれに対抗して、午前3時にマラソンをスタートすると提案したが、このような荒唐無稽な案を出すこと自体が、日本の政策決定システムの劣化を物語っている。

日本の政治家が語るリアリズム(現実主義)の欠落については、政治学者の丸山眞男が60年以上前に「『現実』主義の陥穽」という論文で解説している。日本的な「現実」とは、権力者にとっての現実であり、多面的な現実の一面でしかなく、現実主義的に振る舞うことは既成事実への屈服でしかない。丸山は満州事変以後の戦争に向けた政策決定過程からこのようなパターンを抽出した。それが21世紀の現代にも当てはまることが悲しい。

7月末から8月初めの東京は酷暑が続き、屋外のスポーツには向いていないというのが明白な現実である。しかし、経済刺激や都市開発のためにオリンピックを招致したい東京都などはその現実を無視して、「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と立候補ファイルでアピールした。この文章は、粉飾であり、世界を欺いてオリンピックを東京に招致したというしかない。さらに、安倍晋三首相がIOC総会で原子力発電所事故の悪影響に対する懸念を払拭するために「福島第一原発の汚染水はアンダーコントロール」と演説したことも含め、オリンピック招致は最初から虚偽にまみれていた。