介護の形は家族の数だけあり、ひとくくりにはできない。しかし、どんな顛末であれ、経験者から学べることは多い。6人の介護体験を紹介する。

荻野浩さん(50代/男性)二重生活を5年続ける

月曜日から木曜日までは実家のある山梨県で母の介護、金曜日から日曜日までは東京で仕事。テニスコーチとして働く荻野浩さん(仮名、50)は母の介護中、こんな二重生活を5年間続けた。母は結局、77歳で亡くなった。

「苦労をかけた母なので、『ここで親孝行できなかったらいつするんだ』という気持ちでした」

テニスプレーヤーだった荻野さんは10代から20代前半にかけ海外を拠点に生活。その間、母は懸命に働いて仕送りを続けた。帰国後も一緒に暮らす機会はないままだった。

介護が始まったのは、母の心臓の手術がきっかけ。手術後、腎臓の機能が低下し、人工透析を受ける必要に迫られた。母の病態では透析を受けられる病院がなく、余命半年という宣告を受けた。

荻野さんは諦められず、受け入れてくれる病院を探した。20施設ほど電話をかけても断られたが、ついに実家近くで人工透析を受けられる病院が見つかった。すぐに入院する選択肢もあったが、寝たきりにはさせたくなかったため、通院で透析を受けることを選択。在宅の看護サービスを利用しながら、週の半分は荻野さんが山梨県の実家に通い、母の介護を続けた。認知症が進み、亡くなる3年前に入院。入院後も、身の回りの世話をできる限り自分でやった。

イラスト:関 祐子

仕事を半分減らしたため、収入は半減。子どもが生まれたばかりだったため、貯金を取り崩して借金も背負った。しかし、妻の理解があり、実家には家族全員で通った。テニスコーチは自営業だったため、仕事の調整ができたのも幸いした。金銭面は厳しかったが、後悔はないと言う。

「亡くなった日は病院に泊まり込んでいて、母のそばにいることができた。離れて暮らしていた期間が長かった分、一緒に過ごす日々は楽しく、いつまでも続けたいと感じました」と振り返る。

清水千裕さん( 50代/女性)情報収集がカギになる