昭和天皇は、いわゆる大東亜戦争について、早期終結を強く望んでいた。しかしその実現には困難が伴った。戦局の推移や外交上あるいは内政上のさまざまな条件が整わなければ、和平交渉につけないからである。

1945年9月マッカーサー元帥との会見(毎日新聞社/アフロ)

昭和天皇の終戦構想は2つの段階に分かれる。①一般的希望段階(42年~45年6月)と②具体的実行段階(45年7月~)である。

ではなぜ一般的希望段階に長期間とどまったのかといえば、終戦の阻害要因が大別して4点存在したからである。

①連合国側の無条件降伏主義、②国際的な「信義」の問題、③天皇としての「情義」の問題、④天皇、その側近、重臣たち(元首相)が共有していた「恐怖」である。

最大の阻害要因は①であるが、まず②以下について述べる。

②の信義とは、国際条約の順守に関連する。41年12月開戦と同時に日独伊単独不講和協定が締結された。3カ国が、それぞれ単独で連合国側と講和しないという協定である。