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見直される「院政」の意味 院政の創始者、白河天皇

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院政が「混沌の中世」への転換に耐えうる天皇制の形をつくった。

こしに乗った天皇が、“治天の君”とも呼ばれた上皇(院)の御所に行幸し、拝礼して孝行を表現する、「朝覲(ちょうきん)行幸」の様子(住吉本「年中行事絵巻」巻一 朝覲行幸。田中家蔵・小松茂美編『日本の絵巻8 年中行事絵巻』中央公論新社より転載)

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平成の天皇が高齢による退位の意向を示されたことを受け、天皇と上皇との権威の二重化、すなわち中世に始まった「院政」が再現される可能性があるのではないかと問題となった。

実際に代替わりが行われてみれば、新天皇の存在感は日々増しており、上記の懸念が杞憂だったことは明らかだろう。ただ、組織の第一線を退いたはずの人が、隠然たる権力を振るい続ける様子を「院政を敷く」と表現するように、近代以降「院政」は、天皇を抑圧するものとしてネガティブに捉えられてきた。はたして本当なのか。「院政」開始の事情、その歴史的な意義を振り返ってみたい。

院政とは、譲位した天皇(太上(だいじょう)天皇)が、新天皇に対する父権を根拠として政務を主導・代行する方式である。太上天皇は、その御所の名称である「院」を転用して、院と通称されることが多い。院の地位は天皇に準じ、潜在的には天皇と同等の権力を持つと考えられていた。

院政への道は、1068年即位の後三条天皇によって開かれた。彼は約170年ぶりに現れた、摂関家の娘を母としない天皇である。娘を入内(じゅだい)させ、その娘の生んだ子を天皇に据えることによって権力を維持してきた摂関家は、天皇の后(きさき)となり、母となる娘を確保することができなくなっており、後三条天皇の登場を容認せざるをえなかったのである。

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