こしに乗った天皇が、“治天の君”とも呼ばれた上皇(院)の御所に行幸し、拝礼して孝行を表現する、「朝覲(ちょうきん)行幸」の様子(住吉本「年中行事絵巻」巻一 朝覲行幸。田中家蔵・小松茂美編『日本の絵巻8 年中行事絵巻』中央公論新社より転載)

平成の天皇が高齢による退位の意向を示されたことを受け、天皇と上皇との権威の二重化、すなわち中世に始まった「院政」が再現される可能性があるのではないかと問題となった。

実際に代替わりが行われてみれば、新天皇の存在感は日々増しており、上記の懸念が杞憂だったことは明らかだろう。ただ、組織の第一線を退いたはずの人が、隠然たる権力を振るい続ける様子を「院政を敷く」と表現するように、近代以降「院政」は、天皇を抑圧するものとしてネガティブに捉えられてきた。はたして本当なのか。「院政」開始の事情、その歴史的な意義を振り返ってみたい。

院政とは、譲位した天皇(太上(だいじょう)天皇)が、新天皇に対する父権を根拠として政務を主導・代行する方式である。太上天皇は、その御所の名称である「院」を転用して、院と通称されることが多い。院の地位は天皇に準じ、潜在的には天皇と同等の権力を持つと考えられていた。