天武・持統天皇が営んだ飛鳥浄御原宮における井戸の復元遺構(提供:明日香村教育委員会)

天皇は、いつ、どのような背景で成立したのか。現在では、7世紀後半、律令国家の形成期に位置づけられる天武天皇と、その皇后、持統天皇の時代に、従来の大王号から天皇号への転換がなされたとする説が有力である。

旧来の大王号は、ほかの王族や豪族にも「我が君」や「おおきみ」の呼称が用いられている例があることから、君主号として未成熟だった。対して天皇号は、天皇をほかの君主と明確に区別された排他的存在に変更した点に特徴がある。中国の「皇帝」と対置することで、対外的にも皇帝の冊封(さくほう)を受けた新羅王(しらぎおう)より優位な「東夷(とうい)の小帝国」の君主として自らを位置付けようとしたのだ。

飛鳥池遺跡から発見された天皇号木簡。天武朝のものと推定(奈良文化財研究所所蔵)

空間と時を支配する天皇

とくに画期的だったのは、天皇が「空間と時間の中心」に位置する君主として打ち出された点だ。天皇という言葉は、北で動かない北極星を意味するとの説が有力であり、空間の中心を象徴する。この思想と深く連関するのが、都城(とじょう)(都としての地域)と大極殿(だいごくでん)の成立である。

天皇の後継者争いである壬申(じんしん)の乱で、天武は伊勢、関ヶ原を巡幸し、神の庇護を喧伝して豪族を従えた。乱に勝利し、敵対勢力を一掃すると、ここで初めて天皇の称号を用いた。その後、都を近江から飛鳥に戻した天武は、自らを神に近づけるため、特別な建物を造らせる。それが近年の調査で出現した、『日本書紀』に「大極殿」と記された遺跡である。

宮殿の正殿に当たる大極殿は、天皇が占有する空間だった。大極殿に置かれた高御座(たかみくら)は、天皇と天との唯一の接点として位置づけられ、即位やほかの重要な儀式で、天皇はここに出御(しゅつぎょ)した。