(イラスト:谷山彩子)

「モノ」から「コト」へ、あるいは「役に立つ」から「意味がある」へと、価値の源泉がシフトしつつある現代において、小林一三ほど最適な経営者のロールモデルはない、と思っています。そう、あの阪急グループの事実上の創始者で美術収集家や茶人としても知られる小林一三です。

小林一三は慶応義塾を卒業した後、三井銀行に入行しますが、ここではまったく芽が出ず、左遷に次ぐ左遷の末に「三井にいても先は知れている」と、バンカーとしてのキャリアを諦め、34歳のときに、当時は無名だった関西の弱小私鉄「箕面(みのお)有馬電気軌道」に転職します。30歳を超えてからの転職は現在でもリスクが大きいと考えられていますが、当時にあって、しかも銀行とはまったく無縁の鉄道事業に身を転じているわけで、よくぞ思い切ったものだと思わざるをえません。

しかしこのキャリアは小林一三本人にとっても、また関西社会にとっても、あるいは日本全体にとっても、すばらしい僥倖(ぎょうこう)でした。というのも、もとからアートの感性に恵まれていた小林一三が、後に経営者として大成するためのサイエンスの計数感覚を、この銀行時代に身に付けることができたからです。

禍福は糾える縄のごとし、といいますが本人が「堪え難き憂鬱の時代」と述懐する銀行員時代もまた、後の大経営者、小林一三を生み出すための欠くべからざるレシピだったのです。

弱小鉄道会社の経営をするならば、当然ながら乗降客数の向上を考えるわけですが、沿線の人口、つまり市場規模はおのずと決まっているので、意識は「顧客単価をいかに上げるか」に集中します。事実、当時の鉄道経営者はことごとくこの点にフォーカスしていたわけですが、小林一三はまったく別の論点を設定し、とてつもないアイデアをひねり出します。