相手の役職にかかわらずカジュアルに接するのが平井流。普段はポロシャツで出社することもある(撮影:尾形文繁)

ソニー会長に退いてからわずか1年。あっさりとビジネスの世界から身を引いた。

シニアアドバイザーという肩書だが、積極的に関わるつもりはない。力を合わせて事業立て直しに奔走した後任社長の吉田憲一郎にソニーのことはすべて託した。邪魔をしたくはない。今後も「可能な限り、出社しない」考えだ。

ソニーでやり残したことはないのか。こう尋ねると「やり切ったとは言えないが身を引くことが重要」と話した。

「長期政権になると周りはトップの癖を知っているから、意思決定を先回りするようになる。そうなると社長はオートパイロット(自動操縦)。組織の緊張感がなくなり、あっという間に機能不全に堕ちていく」

過去最高益を出した18年3月期を最後に、平井は社長から会長に退いた。「次の任期を引き受ければ確実にオートパイロットになる。すでにその兆候はあったので」。

自分自身の存在が、12万人の社員を抱える巨大企業にとってマイナスになるかもしれない。組織としての力を最大限引き出すには、ともにソニー再建に取り組んできた有能な仲間に引き継ぐべきだ。「そうしなければ、優秀な人たちが社長になる機会を奪ってしまう」。これが平井の考えである。

「吉田さんが社長になってから、みんな表情が変わりましたよ。いったい、この人はどういう社長なんだろう、って。その緊張感が大事なんです」

今後は他業界も含め、ビジネスの世界からは身を引く。「元ソニーの肩書で仕事をしたくない」。日米の子どもたちの就学を支援する事業に取り組むべく、パートナーとなるNPOを探しているところだ。

平井は自らハンドルを握って車を操り、好きな光景を写真に収める。時に大好きなサックスを演奏し、人生を明るく前向きに楽しむことが夢だった。

これからは社会への恩返しをしながら、人生を楽しみたい。平井の人生は、初めて自らが望む方向へと転がり始めている。

国内勤務を熱望。遠方に新居を構えて新幹線で通勤

平井の父親は国際畑で活躍する銀行員。少年時代は転校の連続だった。まずは小学校入学と同時にニューヨークへ。小学5年生になるといったん日本に戻ったが、中学になると今度はカナダに渡った。中学3年生のときに日本に戻るが、そこからはアメリカンスクール通い。高校2年生になるとシリコンバレーへ渡り、およそ1年で帰国。高校3年生で再びアメリカンスクールに通うようになった。

慌ただしく日本と海外で青春を過ごした平井は、日本への想いを募らせた。海外生活で獲得した英語力を生かそうと国際基督教大学に進む。

1984年、就職先にCBS・ソニーを選んだのも、日本に根を下ろして仕事がしたかったからだという。海外を転々として暮らすのはもうごめんだ。日本にしか商圏がないCBS・ソニーであれば、大好きな洋楽と触れ合いながらも、海外に赴任する可能性もないだろうと考えたという。

ところが88年に想定外のことが起きる。ソニーが米CBSレコードを買収し、CBS・ソニーは全世界へと商圏を広げたのだ。嫌な予感を持ちつつも89年に結婚。地価高騰で首都圏に戸建てを持つことはできず、90年に宇都宮に一戸建てを購入。会社が始めたばかりの新幹線定期券の一部補助制度を活用し、新幹線通勤を始めた。「紛失したら大変なので1カ月単位で定期を購入していた」。週末は趣味を楽しみつつ、平日は定時退社。平井が「理想的だった」と懐古する生活を送っていた。

遠距離通勤も板についた94年、理想的ライフスタイルは海外赴任によって終わりを告げる。

バブル崩壊で価値の下がった自宅は売却もままならない。仕方なく貸家とした(今現在もこの家は貸し続けている)。家族そろってニューヨークへ居を移すことにした。

ここから平井の人生は、大きく変わった。