Shiyi Chen/1956年生まれ。北京大学物理学博士。87年に渡米しロスアラモス国立研究所などを経て、2005年に北京大工学院創設時の院長(学部長)、後に北京大学副校長。2015年1月から現職(撮影:今井康一)

理系の研究分野において、中国の大学・研究者の躍進が著しい。その中でも注目は、「中国のシリコンバレー」深圳に新設された公立校・南方科技大学(南科大、サステック)だ。

直近の世界大学ランキング(英タイムズ・ハイアー・エデュケーション)では、開設わずか7年で大阪大学に迫る勢いのポジションにつけている。南科大の陳十一校長が、海外メディアの取材に初めて応じ、優れた頭脳の獲得競争における自校と中国の強みを語った。

(注)週刊東洋経済掲載インタビューに加筆しています。

教育という点ではまだまだ努力が必要

──南方科技大学は2018年秋に初めて、世界大学ランキングに入りました。

私たちにとってこのランキングの意味は、世界のトップレベルの大学との差がどこにあるのかを定量的に明らかにできた点にあります。具体的には、論文引用数や国際性という点では健闘していますが、教育という点ではまだまだ努力が必要です。

同時に、大学の価値というのは定量的に評価できるものだけでは構成されていません。社会に対する影響力がその好例です。本当の意味で優れた大学になり、社会によい影響を及ぼすために、まだまだ努力が必要です。

──開設7年という短期間でこれだけの高い評価を得られたのは、なぜでしょうか。

何といっても世界中から優れた人材を集められたことでしょう。研究にせよ教育にせよ、すべての中心にあるのは人ですから。私たちは創立以来、どうすれば最も優れた人材を世界中から集められるかを考えてきました。

人材を集めるという点で注目すべきは、世界随一の科学大国である米国です。米国は優れた人材のオープンプラットフォームであり、そこに集まった才能を開花させる作用を持っているのです。

私はかつて、米ジョンズ・ホプキンス大学で学科長を務めましたが、その学科では教授の半数以上が海外出身者でした。現在、基礎研究領域で活躍している欧州出身の研究者が多数いますが、その中には母国を離れ、米国でキャリアを積んだ後にノーベル賞を受賞している例が少なくありません。

もし彼らが米国に行かなかったら、ノーベル賞はつかめなかったのではないかと思います。中国の学生が海外留学する際も、いちばん多い選択肢は米国です。彼らは現地で学んだことを母国にもたらし、さらに帰国後も米国や世界とつながってお互いに影響しあっていきます。そのようにして若い世代を育てることが、世界の人類にとって重要な財産となってきたのです。

私は米国が世界中の人材を包摂する国であり続けることを願うと同時に、南科大も米国のようなプラットフォームになってほしいと考えています。世界中の最も優れた人材を集め、教育や研究に打ち込める落ち着いた生活を提供し、彼らに思う存分人類の文明に貢献してもらう。そんなグローバルプラットフォームです。

──陳校長は過去に、優れた人材を引きつけるには「キャリア、待遇、理念」の3つが重要だと発言しています。例えば待遇については、今、南科大に唯一在籍している日本人教授によると、南科大から与えられた研究費は、彼が過去30年間、日本で得てきた研究費の倍に相当するそうです。

その数字が正確かどうかは私にはわかりません。ただ、彼を含む南科大の先生たちがとても幸運であるのは事実でしょう。深圳という都市、そして今という時代。この2つが、大きな機会をもたらしているのです。

深圳は過去40年間の改革開放政策で最も成功した都市であり、現在は非常に活力に満ちた場所です。深圳市政府はこの大学が世界水準の研究型大学になることを期待し、そのために教授たちに高いレベルの支援を与えています。理系大学の研究者は、ラボをつくり設備を買い、研究を支える学生を集めなければなりませんから、政府の支援は欠かせません。深圳市以外に、中央政府や広東省も私たちを支援してくれています。

その日本人教授は、コンピューターサイエンスの分野で世界的に活躍してきた人だと理解しています。そんな優れた人がここで働くことを選んでくれたのは、深圳と南科大から非常に大事にされ、適切な支援を受けられることを実感したからではないでしょうか。

優れた頭脳は人類共通の資源

──南科大に限らず、世界中の大学と企業が今、優れた研究者の獲得にしのぎを削っています。現代というのは頭脳をめぐる獲得競争の時代であり、南科大はその競争を勝ち抜く努力をしてきた。そう言ってもよいでしょうか。

その言い方は、あまりに物事を単純化しすぎではないでしょうか。正しくはこう言うべきです。現代において、優れた研究人材、優れた頭脳というのは人類共通のグローバルな資源です。

ですから南科大がより優れた人材を欲しいと考えるならば、おのずと世界中から探し求めることになるのです。そのプロセスの中で結果として、競争する側面が存在しているのです。

──中国全体をみると、双一流計画(ダブル・ファーストクラス・ユニバーシティー・プラン)の下、大学への積極的な投資を進めています。

世界レベルで一流の大学、一流の学科をつくる計画ですね。これはすばらしい取り組みだと思います。南科大は新設大学なので計画の対象になるにはまだまだ努力が必要ですが、努力の方向は正しいと思っています。

具体的には、前述のように最も優れた人材を集めていることが1つ。もう1つは既存の教育システムの範囲で、さまざまな取り組みをしているということです。

例えば南科大の入学試験は学業成績への評価だけでなく、何かに抜きんでた学生を集める試みを独自にしています。中国では通常、高考(普通高等学校招生全国統一考試)と呼ばれる全国共通の筆記試験ですべてが決まりますが、南科大では高考の成績は評価の60%しか占めません。

残る40%は独自の試験や面接の結果です。一定程度の学業成績があることを前提に、批判的思考ができるかとか、創造性に富んでいるかといった点を見て、総合的に資質を評価しているのです。

──中国の大学教育というと正直なところ、暗記中心で創造性に乏しい、というのがこれまでの一般的なイメージでした。

南科大というのは、中国の高等教育における1つのチャレンジ、1つの希望なのです。ですから入試だけでなく入学後も、学生を優秀かつ創造性豊かな人材に育てる独自の努力をしています。

たとえば英オックスフォード大学やケンブリッジ大学などの学寮(カレッジ)のような書院制度を導入しています。書院では専攻やバックグラウンドの異なる学生と交わることで、学際的な学びを深めることができるのです。

また入学後2年間は、専攻を選択しません。何を専攻するかは学生自身が主体的に選ぶべきものですが、入学したばかりの学生は自分がいったい何に関心があるのか自分でもわからないもの。2年間かけて、じっくりと専攻を選んでもらいます。こういった取り組みを通して、学生1人ひとりが個性を確立していくのです。

とくに重視しているのが、学生たちの実践です。つまり、学びを起業に生かすということです。ものづくりのスペースも複数あり、ドローンのようなものを実際に作ってみることを奨励しています。

大学とはピアノの演奏のようなもの

──教員に対しては、高いアウトプットを出すよう厳格な能力評価を導入し、教員同士の競争を促していると聞きました。

私は北京大学と米国での経験から、学問の自由がいかに重要であるかを学びました。米国で出会ったある大学の学長は、彼らが大学運営に成功した秘訣として学問の自由を尊重したことを挙げていました。ですから南科大も学問の自由を重要なものと捉え、教授たち自身が自由に研究テーマを決めることを支持しています。

ただ大学とは例えて言えば、ピアノの演奏のようなものです。10本の指すべてをバラバラに動かしつつ、全体として美しい音楽を奏でるには、楽譜が必要ですよね。大学にも楽譜ならぬ一定の規律というものが必要なのです。

ですから南科大には学術委員会のような組織や、そのほかのさまざまな規則が定められています。教員には学問の自由を享受しつつ、学内のルールや法律に従って、学科や大学に貢献することが求められています。この双方が有機的につながることで、全体がよりポジティブな成長を遂げることができるのです。

──学問の自由と競争的な環境の間に、対立はありませんか。例えば日本では競争的な研究資金の比率が高まる中で、自由に研究テーマを選ぶことが難しくなっているという声が研究者の間から上がっています。

競争的資金について言えば、必ずしも学問の自由と対立するわけではありません。そもそも国家の財源には限りがありますから、一定の審査の下でより優れた研究プロジェクトを選び資金を与えるのは至極公正なことだと思います。

その一方で、世界全体を見渡せば、競争的な方法以外にも研究資金を供与するよいやり方があるのも事実です。米国は競争的資金が中心ですが、スイスのような国は研究者に対して安定的、継続的な資金で研究活動を支援しています。米国式の競争的環境と、スイスのようなやり方と、はたしてどちらが研究支援のあり方として優れているのか? 私の現時点の答えは、「どちらも試してみる価値がある」というものです。