【今週の眼】苅谷剛彦 英オックスフォード大学教授
かりや・たけひこ●1955年生まれ。米ノースウェスタン大学大学院博士課程修了、博士(社会学)。東京大学大学院教育学研究科助教授、同教授を経て2008年から現職。著書に『階層化日本と教育危機』『増補 教育の世紀:大衆教育社会の源流』『教育と平等』など。(撮影:尾形文繁)

4月1日に新しい元号が発表され、5月1日から新元号、令和が始まった。日本から遠く離れた英国で5月を迎えた私は、衛星版の新聞やネットを通じて新元号開始前後の様子を見た。「平成最後の〇〇」「令和最初の〇〇」といった表現が多用され、平成という時代が終わり、令和という新しい時代が幕を開けることを印象づける報道が目についた。日本から離れ、普段元号に接しない私には、熱狂する日本の報道ぶりは違和感を覚えるものでさえあった。

グレゴリオ暦(西暦)は、キリスト教に由来するとはいえ、今では世界中で使われ、象徴的・宗教的意味が希薄な、無機的な数字の羅列で表現される時間の区切り方である。もちろん、その機械的な数字に私たちは意味を与える。日本人にとって、1945や2011という数字は特別な意味を持つ。だが、それらが意味づけられるのは、その年に起こった重大な出来事に、私たちが画期としての時代の切れ目を感じるからだ。そのような複数の重大な出来事と出来事との間の時間に、私たちは名称を与える。「戦後」「高度成長期」「バブル」「震災後」のように。