カトリック教会の「ミサ」はラテン語であり、英語では「マス」という。この「マス」とマスメディアの「マス」は基本的には異なる語源を持つ別の言葉だが、マスメディアが宗教的イベントのミサと似た要素を持っているのは単なる偶然なのか?

ラテン語やギリシア語が英語に転じるときに、類似性が考慮されたのかもしれない。 その類似性とは「共時性」だ。「大勢の人と同じ時間を共有していると実感すること」である。

サッカー日本代表の試合を生中継で見ているとき、「会社の同僚や学校の同級生も今この試合を見ているだろう」「日本中の人が夜更かしして熱中しているだろう」という「お祭り感覚」を覚える。その感覚を試合以上に楽しみにしている人も多い。日本が負けても渋谷の交差点が大騒ぎになるのは、お祭り感覚ゆえだ。深夜の試合を録画して翌日に見るとき、何かが損なわれた感じがする。損なわれたのは共時性=お祭り感覚だ。