4月1日、新元号「令和」について説明した安倍首相(AFP/アフロ)

2016年9月の本欄で、明仁天皇の生前退位を希望するメッセージに触れ、私は戦後民主主義と天皇制の関連について書いたことがある。丸山眞男の有名な評論「『である』ことと『する』こと」を引用すれば、本来君主制とは家系と属性が存在理由であり、「である」論理の典型例である。しかし、明仁天皇は、戦後民主主義や平和主義を改変しようとする第2次安倍政権が作る磁場の中で、平和主義を象徴するために積極的に行動することになり、「する」君主制という新しいモデルを作り出した。このモデルを次代の天皇に継承させるために、自ら余力のあるうちに退位することを希望したのだろうと解釈した。

戦後民主主義の象徴としての明仁天皇の功績については、今でも私の考えは変わらない。しかし、今回の退位に当たって、とくに新元号の発表に際して、より伝統的な政治的、社会的効果を見せつけられたことも痛感した。なお、この原稿は平成の末期に書いているので、新天皇の即位に伴って起こる社会現象は射程に入らない。

4月1日に新元号が発表されたとき、マスメディアはこの話題であふれた。私が最も強い違和感を抱いたのは、「新時代」という言葉である。天皇は国政に関して何の権能も持たない。天皇の代替わりとは、憲法第7条に規定される国事行為の主体が交代するだけである。天皇が代わったからといって世の中が変わっては困る。それが「象徴」天皇制の意義である。

しかし、メディアは新元号の使用とともに新しい時代が来ると騒ぎ立て、大勢の人々もその議論を受け入れた。もちろん、天皇が交代しても原発事故の爪痕は残るし、人口減少社会の趨勢が変わるわけではない。つまり、実態は何も変わらないのに、時代が変わったと人々に思い込ませるところに改元の社会的、政治的効果がある。