今年、創建150年を迎える靖国神社について論議が巻き起こっている(毎日新聞社/アフロ)

靖国神社が「創建百五十年」という記念すべき年に、その存在意義を根本から問われかねない事態に陥ることになるかもしれない。それも自らがわざわざ公表した、合祀している「みたま」のあり方に関する「見解」によってだ。

この見解は靖国神社社務所名で1月1日付の社報『靖国』に掲載された。内容は、天皇陛下批判と受け取れる発言の責任を取って退任した小堀邦夫前宮司が昨年11月発売の月刊『文藝春秋』に寄稿した手記への反論だ。

手記の中で小堀氏は、「祭神となられた方は、誰も天寿を全うしていません。どの方も死に際には、叫び、わめき、嘆き、あるいは一瞬で亡くなっている。どれだけ恨みを呑んで亡くなられたかわからない。だから祟ることがないように、どうか永遠のお宮として靖国神社にお鎮まりくださいとお祭りを続けてきました。(中略)神霊は、(中略)やはり陛下のお参りをお迎えしたいはずです」として天皇陛下の「お参り」、つまり参拝を強く希望している。

さらに太平洋戦争で激戦地となったアジアや沖縄への天皇陛下の「慰霊の旅」は「祀(まつ)る」行為ではないと主張。大きな理由として、「かつての戦地には、遺骨はあっても靖国神社の神霊(みたま)はそこにもうおられないと考えます」と述べている。

靖国神社が見解の中で反論しているのは、「お祀り」の目的に「祟りを鎮める」ことが挙げられていることと、神霊は靖国神社にのみ存在し、靖国神社以外の場所では「祀る」ことはできないという「神霊(みたま)単一説」だ。