
お礼が生む豊かな関係 経済倫理の新たな可能性
評者 北海道大学大学院教授 橋本 努
日本の有機農業と消費者をつなぐ「提携」運動に密着し、この運動の独自性を深部から掘り起こした珠玉の書だ。まず著者の感受性に心を打たれる。実践に裏付けられた粘り強い思索は、日本発の新たな経済思想の誕生と言ってもいいだろう。
1960年代の後半、水俣病などの環境汚染への反省から、心ある消費者たちは農家との「顔の見える関係」を築くべく、新しい流通様式を探った。さまざまな試みがなされるなかで、著者は埼玉県比企郡小川町の霜里農場の「お礼制」に注目する。
同農場では、最初は会費制で生産者と消費者を直結したもののうまくいかなかった。ところが「お礼制」を導入すると、うまく回り始める。なによりも、農場主の心が安らいだ。「農民として人間的に解放された」ようだという。
お礼制とは、生産者が農産物を消費者に贈与し、消費者はめいめいがお礼の金額を考えて渡す仕組み。直売所やスーパーなど他の流通経路も並存していたようだが、お礼制によって市場原理から解放された当事者たちは心の余裕を手にし、自由に生きることができた。お金に換算できない豊かな人間関係が生まれた。
例えばある酒造業者は「無農薬米」の酒造りをすると言って当地の農家を支えてくれた。遺伝子組み換えのない大豆で豆腐を作りたいという豆腐屋も加わった。噂を聞いたリフォーム会社の社長は、社員たちを動員して有機米を買い支えるようになった。
こうして新たな縁が結ばれていく。市場経済においては、農家は自分で作った農作物に不本意な値付けをしなければならないという葛藤がある。お礼制はそのような抑圧から生産者を解放して、人間的で持続的な関係を消費者たちと結ぶことを可能にした。

本書はその背後にある思想原理を、「もろとも」という日本語独特の言葉に着目して読み解く点がすばらしい。「死なばもろとも」という言葉がある。命の運ばれる先を共にするような関係性である。自分とは異質な他者であっても、実は自分が存在する理由を与えてくれる。そのような関係性に気づくとき、人はいったん自己を否定して豊かな自己創造を遂げるという。
他者の生活をすべて共有するのではなく、相手を気遣い、お礼をすることで、希望あふれる信頼関係を築いていく。経済倫理の新たな可能性を伝える本書は、本気で生きることに情熱を持った企業者たちに、ぜひ読んでほしい一冊だ。