2月16日夕(日本時間17日未明)、ドイツのミュンヘンにあるロシア総領事館で河野太郎外相とロシアのラブロフ外相が約1時間半会談した。〈終了後、河野氏は記者団に「一足飛びにゴールにいくことにはならないが着実に前進はしている」と述べた。「二人三脚でゴールにたどり着けるようにお互いに努力したい」と意欲を示した。/ラブロフ氏は終了後、「(北方領土を含む)全クリール諸島のロシア主権を含め、日本が第2次世界大戦の結果を認める以外に選択肢はない」と従来の主張をくり返した。「ロシアは日本との平和条約のために期限を設けていない」と語った〉(2月17日「日本経済新聞」電子版)。

日本の新聞では、ラブロフ氏が強硬な立場を表明し北方領土交渉に関する前進はなかったとする評価が一般的だが、このような評価は間違いだ。2018年11月14日のシンガポールにおける日ロ首脳会談で安倍晋三首相とプーチン大統領は、1956年の日ソ共同宣言に基づいて平和条約交渉を加速することに合意した。平和条約は、領土問題が解決しないと締結できない。このときに安倍氏は、主権問題に関し、歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島は日本、国後(くなしり)島と択捉(えとろふ)島はロシアに帰属させ、日ロ間の国境線を画定するという方針を明確にした。

国後島と択捉島に関して、日本人は特別な思いがある。1855年に日本とロシアが初めて国境線を画定した日露通好条約では、両国の国境は択捉島とウルップ島の間に引かれている。もっとも、1951年のサンフランシスコ平和条約第2条c項で日本は千島列島を放棄した。この条約を締結した時点での日本政府の認識は、放棄した千島列島に国後島と択捉島が含まれるというものだった。55〜56年の日ソ国交回復交渉で、日本政府は突如、放棄した千島列島に国後島と択捉島は含まれないという立場に変更した。サンフランシスコ平和条約にソ連が署名しなかったので、同条約の規定をソ連に適用することはできない。しかし、いったん放棄した領土を「実は放棄していなかった」と後から主張しても、国際社会でそれは通らない。仮に北方領土問題が国際司法裁判所(ICJ)で審理に付されたとしても、国後島と択捉島の帰属に関しては日本が負ける可能性が高い。

にもかかわらず、日本が無理筋の四島一括返還という要求を掲げたのは、ソ連が絶対に交渉に応じないという見通しがあったからだ。56年の日ソ共同宣言が締結された時点で、小笠原と沖縄は米国の施政権下にあった。ソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡せば、米国よりもソ連のほうがよい国だという印象が国民の間に広がる可能性もあった。当時は日本共産党のみならず日本社会党も社会主義革命を目指していた。革命を阻止するという観点から、日本政府にとって、領土問題は解決しないほうが国益だったのである。