壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き
壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き(A.R. ホックシールド 著/布施由紀子 訳/岩波書店/2900円+税/371ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
Arlie Russell Hochschild●米カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。フェミニスト社会学の第一人者。感情の社会性に着目し、1983年に『管理される心──感情が商品になるとき』を刊行、感情社会学という新しい分野を開拓。ほかの著書に『セカンド・シフト』『タイム・バインド』など。

「共感の壁」にどう対処 すばらしい実践の書

評者 慶応義塾大学環境学部教授 渡辺 靖

全米のリベラル派の象徴ともいうべきカリフォルニア大学バークレー校。本書は同校で長年教鞭をとったフェミニスト社会学の泰斗が南部ルイジアナ州で2011年から5年間行ったフィールドワークの賜物だ。

同州はバイブルベルトでありエネルギーベルト。政治的には保守の牙城だ。まさに「壁の向こうの住人たち」のもとをバークレーのフェミニストが訪れるのだから面白くないわけがない。

具体的な地域は、同州南西部に位置するレイクチャールズ市周辺。同地は全米有数の化学工業地帯であり、また深刻な環境汚染に伴い、がんの多発地帯としても知られる。そこに暮らす共和党支持派の白人中間層を対象に調査は行われた。

彼らの米国観を探るうえで著者が重要な「鍵穴」と位置付けたのは、なぜ公害に苦しんでいる人びとが、その元凶というべき企業への規制強化ではなく、むしろ一層の規制緩和を唱えるティーパーティ(茶会)運動を支持するのかという逆説。

著者によれば、その逆説は経済合理性だけでは説明できず、むしろ彼らの自尊心や公正観に根ざした文化的要因が大きいという。

一体、彼らは何に怒り、戸惑っているのか。自らの潜在的な政治的バイアスに自覚的で、できるだけ公平な目線で彼らを描こうとする著者の姿勢にプロの分析者としての矜持を感じる。

16年9月に刊行されるや、原著は「トランプ旋風」を理解する最適の書として全米、いや世界で注目された。著者はトランプ氏を「感情に訴える候補者」と記しているが、多くの学者や評論家はトランプ支持者の「感情」を理解できないまま、自らの共感力の欠如を、トランプ氏を矮小化することによって葬り去ろうとした。

トランプ氏の統治手法を見て、米民主主義の終わりを論ずることはたやすいだろう。しかし、トランプ支持者にとって米民主主義などとっくに終わっていた。私たちは一体、誰の民主主義を語ってきたのだろうか。

評者にとって本書は単なる米国論でもトランプ論でもない。他者との「共感の壁」にどう向き合ってゆくか。本書の最大の意義はその探求の実践にある。そして、それは現代社会における喫緊の課題でもある。

小さな現場から大きな問いに迫る。まさにフィールドワークのお手本のような一冊だ。