1994年、ソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション(PS)」の初号機が発売された。それから25年目の今、「PS」はネットにつながり、ゲーム以外のさまざまなコンテンツも楽しめる基盤となった。この礎を構想したのが、久夛良木健氏だ。クラウドサービスが世に登場するはるか前の2000年にそれを予見するなど、つねにテクノロジーの先行きを見通してきた久夛良木氏は、未来をどのように見ているのか。

くたらぎ・けん●1975年にソニー入社。93年ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)設立に参加。99年にSCE社長、2003年にソニー副社長、07年にSCE会長退任。09年よりサイバーアイ・エンタテインメント社長。(撮影:梅谷秀司)

──久夛良木さんが「PS」を開発した25年前、周囲の反応はいかがでしたか?

そもそも従来のゲーム機は、主に小学校の男の子が遊ぶおもちゃだった。一方のPSが目指したのは、コンピュータとエンタメの融合。それは社内外問わず、なかなか理解されなかった。自分たちで専用のICチップを設計したいといっても、「無知な若者の誇大妄想」と受け止められた。

加えて当時のソニーでは、ブラウン管テレビやビデオテープなど、アナログ技術に秀でたエンジニアがたくさんいた。情報処理やその前段階のデジタル化に対しては、疑問視するというより、ほとんど関心がなかったんだ。

──日本の電機業界はIT化が遅れました。アナログ技術の成功体験が足かせになりましたか?

間違いなく足かせになったと思う。ただ根本は日本人が受けた教育の影響。集団で均質な取り組みを共有する教育によって、既存の商品群を改善することは、とてもうまかった。一方、ユニークな提案は「へそまがり」といわれて排除される。結果、HowはわかるがWhatはわからない。これは垂直分業で、アナログの製品を大量生産した昭和の家電産業ではうまく機能したが、IT化が進んだ平成以降は競争力を失った。

日本の自動車業界にも同じことがいえる。EV化の本質は、将来的に車が個人所有ではなくなる、というモビリティの大変革。だが日本勢は、車を単なる商品として見ていたから、燃料車がEVに変わっても「だから何?」と思った。それで乗り遅れたんだね。

その点、米テスラもすでに時代遅れで、ウーバーやリフトなどのほうが先を見ている。今後も、いろいろな変革があると思うけど、多くの日本の企業の意思決定層はそれを想像できていない。

──今後起こることを想像できている企業はどこでしょうか。

筆頭は、米国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)と、中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)。ただ、今テクノロジーで世界を変えようとしている天才は、昔と違って企業をベースにして動いていない。企業は資本を集中させるためにあるが、今はGAFAが提供する共通プラットフォームなどを使えるから、アセットライト。最先端の知識やデータはリアルタイムで共有されていて、競争ではなく共同作業で最先端の開発を進めている。特定の企業が覇権を握ることはなさそうだ。